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斑鳩物語
いかるがものがたり
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「近代浪漫派文庫 7 正岡子規 高浜虚子」 新学社
2006(平成18)年9月11日第1刷
入力者門田裕志
校正者荒木恵一
公開 / 更新2014-05-12 / 2014-09-16
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 法隆寺の夢殿の南門の前に宿屋が三軒ほど固まつてある。其の中の一軒の大黒屋といふうちに車屋は梶棒を下ろした。急がしげに奥から走つて出たのは十七八の娘である。色の白い、田舎娘にしては才はじけた顔立ちだ。手ばしこく車夫から余の荷物を受取つて先に立つ。廊下を行つては三段程の段階子を登り又廊下を行つては三段程の段階子を登り一番奥まつた中二階に余を導く。小作りな体に重さうに荷物をさげた後ろ姿が余の心を牽く。
 荷物を床脇に置いて南の障子を広々と開けてくれる。大和一円が一目に見渡されるやうないゝ眺望だ。余は其まゝ障子に凭れて眺める。
 此の座敷のすぐ下から菜の花が咲き続いて居る。さうして菜の花許りでは無く其に点接して梨子の棚がある。其梨子も今は花盛りだ。黄色い菜の花が織物の地で、白い梨子の花は高く浮織りになつてゐるやうだ。殊に梨子の花は密生してゐない。其荒い隙間から菜の花の透いて見えるのが際立つて美くしい。其に処々麦畑も点在して居る。偶[#挿絵]燈心草を作つた水田もある。梨子の花は其等に頓着なく浮織りになつて遠く彼方に続いて居る。半里も離れた所にレールの少し高い土手が見える。其土手の向うもこゝと同じ織り物が織られてゐる様だ。法隆寺はなつかしい御寺である。法隆寺の宿はなつかしい宿である。併し其宿の眺望がこんなに善からうとは想像しなかつた。これは意外の獲物である。
 娘は春日塗りの大きな盆の上で九谷まがひの茶椀に茶をついで居る。やゝ斜に俯向いてゐる横顔が淋しい。さきに玄関に急がしく余の荷物を受取つた時のいき/\した娘とは思へぬ。赤い襦袢の襟もよごれて居る。木綿の着物も古びて居る。それが其淋しい横顔を一層力なく見せる。
 併しこれは永い間では無かつた。茶を注いでしまつて茶托に乗せて余の前に差し出す時、彼はもう前のいき/\した娘に戻つて居る。
「旦那はん東京だつか。さうだつか。ゆふべ奈良へお泊りやしたの。本間になア、よろしい時候になりましたなア」
と脱ぎ棄てた余の羽織を畳みながら、
「御参詣だつか、おしらべだつか。あゝさうだつか。二三日前にもなア国学院とかいふとこのお方が来やはりました」
と羽織を四つにたゝんだ上に紐を載せて乱箱の中に入れる。
 余は渇いた喉に心地よく茶を飲み干す。東京を出て以来京都、奈良とへめぐつて是程心の落つくのを覚えた事は今迄無かつた。余は膝を抱いて再び景色を見る。すぐ下の燈心草の作つてある水田で一人の百姓が泥を取つては箕に入れて居る。箕に土が満ちると其を運んで何処かへ持つて行く。程なく又来ては箕に土をつめる。何をするのかわからぬが此広々とした景色の中で人の動いて居るのは只此百姓一人きりほか目に入らぬ。
 娘は椽に出て手すりの外に両手を突き出して余の足袋の埃りを払つて又之を乱箱の中に入れる。
「いゝ景色だナア」
といふと直ぐ引取つて、
「此辺はなア菜…

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