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桑中喜語
そうちゅうきご
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「荷風随筆集(下)」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年11月17日
入力者門田裕志
校正者米田
公開 / 更新2010-10-06 / 2014-09-21
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 なにがしと呼ぶ婦人雑誌の編輯人しばしばわが廬に訪ひ来りて通俗なる小説を書きてたまはれと請ふこと頻なり。そもそも通俗の語たるやその意解しやすきが如くにしてまた解しがたし。僕一人の観て以て通俗となすもの世人果して然りとなすや否やいまだ知るべからざるなり。通俗の意はけだし世と共に変ずべきものなるべし。川柳都々逸は江戸時代にあつては通俗の文学なりき。しかして今日は然らず。今日もしつぶさに『末摘花』のいふ処を解釈し得ば容易に文学博士の学位を得べし。むかし女郎の無心手紙には候かしくの末に都々一なぞ書き添るもの多かりしが、今日大正の手紙には童謡とやら短歌とやら書きつけて性の悶を告ぐとか聞けり。されば今日の男女に喜ばるべき通俗小説をものせんとせば、筆を秉るに先んじてまづ今日の下情に通暁せざるべからざるなり。下情に通暁せんにはその眼光水戸黄門の如くなるにあらざれば、その経歴遠山左衛門尉に比すべきものなくんばあるべからず。ここにおいてや通俗小説の述作豈それ容易の業ならんや。人おのおの好むところあり。下戸あり。上戸あり。上戸の中更に泣くものあり笑ふものあり怒るものあり。然れども下戸上戸おしなべて好むところのものまたなきにあらず。淫事即これなり。当今の人これを呼んで性の要求となす。なほ車夫の四辻を十字街といひ芸妓の手踊を舞踊とよぶが如し。当世人の言語一として新聞記者の口吻に似ざるはなし。厭ふべきなり。
 通俗の本旨既に色欲淫事にあり。然りとすれば一たび筆を通俗の小説に秉らんとするもの、淫事を他にしてまた何をか描かんや。『源氏物語』は我国淫本の権輿なり。泰西にボッカーズの『浮世双紙』、ナワール女王の『懺悔録』等あり。漢土に『飛燕外伝』、『雑事秘』の類あり。近世に至つて『紅楼夢』『金瓶梅』の如き、皆読む者をしてアヂな気を起さしむ。
 淫書の見解また時によりて変ず。古人の眉を顰めて淫書となせしもの、今人見て必しも然りとなさざるものあり。今人の世に害ありとなすもの、将来において果して然るや否や知るべきにあらず。宮古路の浄瑠璃は享保元文の世にあつては君子これを聴いて桑間濮上の音となしたりといへども、大正の通人は頤を撫でて古雅掬すべしとなす。けだし時世変遷の然らしむるところなり。大正癸亥の年の夏、女記者お何といふものあり。夫の目を忍びて小説家某と密通し、事の露れんとするや姦婦姦夫倶に為すところを知らず、人跡断えたる山中の一ツ家に隠れ、荒淫幾日、遂に相抱いて縊死す。日を経て悪臭数里に漂ひ人の初てこれを知るや、死屍既に腐爛して性の陰陽を弁ぜず、眼球頭髪倶に脱落して蛹雲集せしといふ。当世の才子佳人これを伝唱して以て絶代の佳話となす。そのいふ所を聞くに、道徳を超越して能く本能を満足せしめたるが故なりと。狂言作者古河黙阿弥のかつてその戯曲『鵜飼の篝火』をつくるや狼の羣をして山中の辻堂に潜める淫婦…

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