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悲しき思出
かなしきおもいで
副題(野口雨情君の北海道時代)
(のぐちうじょくんのほっかいどうじだい)
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「石川啄木全集第四巻 評論・感想」 筑摩書房
1980(昭和55)年3月10日
入力者林幸雄
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-06-04 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

◎本年四月十四日、北海道小樽で逢つたのが、野口君と予との最後の会合となつた。其時野口君は、明日小樽を引払つて札幌に行き、月の末頃には必ず帰京の途に就くとの事で、大分元気がよかつた。恰度予も同じ決心をしてゐた時だから、成るべくは函館で待合して、相携へて津軽海峡を渡らうと約束して別れた。不幸にして其約束は約束だけに止まり、予は同月の二十五日、一人函館を去つて海路から上京したのである。
◎其野口君が札幌で客死したと、九月十九日の読売新聞で読んだ時、予の心は奈何であつたらう。知る人の訃音に接して悲まぬ人はない。辺土の秋に客死したとあつては猶更の事。若し夫野口君に至つては、予の最近の閲歴と密接な関係のあつた人だけに、予の悲みも亦深からざるを得ない。其日は、古日記などを繙いて色々と故人の上を忍びながら、黯然として黄昏に及んだ。
◎野口君と予との交情は、敢て深かつたとは言へないかも知れぬ。初めて逢つたのが昨年の九月二十三日。今日(二十二日)で恰度満一ヶ年に過ぎぬのだ。然し又、文壇の中央から離れ、幾多の親しい人達と別れて、北海の山河に漂泊した一年有半のうちの、或一時期に於ける野口君の動静を、最もよく知つてゐるのは、予の外に無いかとも思ふ。されば、故人を知つてゐた人々にそれを伝へるのは、今日となつては強ち無用の事でもない。故人の口から最も親しき人の一人として聞いてゐた人見氏の言に応じて、予一個の追悼の情を尽す旁々、此悲しき思出を書綴ることにしたのは其為だ。
◎予は昨年五月の初め、故山の花を後にして飄然北海の客となつた。同じ頃野口君が札幌の北鳴新聞に行かれた事を、函館で或雑誌を読んで知つたが、其頃は唯同君の二三の作物と名を記してゐただけの事。八月二十五日の夜が例の大火、予の仮寓は危いところで類焼の厄を免がれたものの、結果は同じ事で、其為に函館では喰へぬ事になつて、九月十三日に焼跡を見捨てて翌日札幌に着いた。
◎札幌には新聞が三つ。第一は北海タイムス、第二は北門新報、第三は野口君の居られた北鳴新聞。発行部数は、タイムスは一万以上、北門は六千、北鳴は八九百(?)といふ噂であつたが、予は北門の校正子として住込んだのだ。当時野口君の新聞は休刊中であつた。(此新聞は其儘休刊が続いて、十二月になつて北海道新聞と改題して出たが、間もなく復休刊。今は出てるか怎うか知らぬ。)
◎予を北門に世話してくれたのは、同社の硬派記者小国露堂といふ予と同県の人、今は釧路新聞の編輯長をしてゐる。此人が予の入社した五日目に来て、「今度小樽に新らしい新聞が出来る。其方へ行く気は無いか。」と言ふ。よし行かうといふ事になつて、色々秘密相談が成立つた。其新聞には野口雨情君も行くのだと小国君が言ふ。「甚[#挿絵]人だい。」と訊くと、「一二度逢つたが、至極穏和い丁寧な人だ。」と言ふ。予は然し、実のところ其言を信じなかつた。…

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