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「自然」を深めよ
「しぜん」をふかめよ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集」 講談社文芸文庫、講談社
2007(平成19)年4月10日
初出「新小説」1917(大正6)年4月
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-05-18 / 2014-09-16
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 我々の生活や作物が「不自然」であってはならないことは、今さらここに繰り返すまでもない。我々は絶対に「自然」に即かなくてはならぬ。しかしそれで「自然」についての問題がすべて解決されたとは言えない。むしろ、問題はそれから先にある。
 一体どれが我々の生活のドン底の真実なのか。どれをつかんだ時に我々は「自然」に即したと豪語する事ができるのか。
 自然主義は殻の固くなった理想を打ち砕くことに成功した。しかし代わりに与えられたものは、きわめて常識的な平俗な、家常茶飯の「真実」に過ぎなかった(たとえば、人間の神を求める心とか人道的な良心とかいうものはあとからつけた白粉に過ぎない。人間を赤裸々にすればそこには食欲、性欲、貪欲、名誉欲などがあるきりだ、と言うごとき)。こういうことはいかなる意味でも新発見ではない。昔から数知れぬ人々が腹のなかで心得ていた。それを心得ていないのは千人に一人か百人に一人の理想家や敬虔家だけであった。現在でももちろん同様である。ただ多くの人は露骨にそれを発表するのを好まない(それだけ理想家、敬虔家の情熱が根深い習俗として社会を支配しているのである)。――そこを自然主義は露骨でもって刺激した。そうしてこの主義がいかにも重大な意義を持っているらしい感じを世人に与えた。実際それは、偽善家の面皮を正直という小刀で剥いでやった、という意味で、重大な意義を持つに違いない。あるいはまた幻影に囚われた理想家を現実に引きもどした、という意味で。――しかしそれは決して以前よりも深い真実を捕えてくれたわけでなかった。それのもたらした新事実をあげれば、まず自然科学の進歩、社会主義の勃興、一般人民の物質的享楽への権利の主張、徹底的な虚無主義の出現――芸術上においては様式の単純化、日常生活の外形的な細部の描写の成功などであるが、そこに著しい進歩があったとは言っても、何もより深いものは実現されていない。
 ここに恐らく自然主義の薄弱な反動に過ぎない理由があるのである。十九世紀後半が生んだ偉大なものは、たとえ自然主義のいい影響をうけていたにしても、決して自然主義的な本質を持ってはいなかった。そこには常に自然主義以上のものがあった。この事実は世界の精神潮流から非常に遅れていた最近のわが国の文化についても、厳密に検察せられなくてはならない。――
 そこで生活の「真実」、人間の「自然」の問題である。我々はこの「真実」、「自然」を描くと自称する多くの作家を持っている。しかし彼らもまた常識的な粗雑な眼をもって見た「自然」以上に何ものも知らないではないか。彼らはただ「多くの場合」「多くの出来事」「多くの人間」を知っている。あるいは外景、室内、容貌、表情などに関する詳細な注意や記憶を持っている。これらも確かに一種の才能である。誰でもが彼らのような観察と記憶とを持つことはできない。けれど…

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