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佗しい放浪の旅
わびしいほうろうのたび
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本紀行文学全集 南日本編」 ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日
入力者林幸雄
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2004-03-31 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 別府も私の行つた時分は、創始時代とでもいふのであつたらう。居るあひだに不老泉といふ階上階下の浴槽開きのお祝ひなどあつた事を覚えてゐるが、今は全然趣きが変つてゐるらしい。多分日露戦争以後どんどん開けたのだと思はれる。だから私が行つた時分葭簾張や菰囲ひであつたやうな湯までが、今は立派な浴湯になつてゐるに違ひない。何しろ全市到る処湯の沸かないところはないくらゐで、普通の人家にも庭に浴槽があり、田圃道を歩いてゐると思はぬところに清澄な温泉が煙を立ててゐたりする。この町につづいた浜脇といふところには又砂風呂といふのがあつて、囲ひの枠に頭と足をもたせて、砂のなかに体を半分埋めてゐると、下から湯が噴き出して来る。広大なその種類の浴場が幾個もあつた。湯の豊富なことは恐らく世界一で、更に町を離れて大きな石塊の磊磊してゐる野を突切つて観音寺へ行つて見ると、そこは大友宗麟(?)の居城の跡とかで見晴らしのいい高台に温泉が湧いてをり、そこから奥へ入つて行つて、かんなわの湯だとか明礬の湯だとか半里か一里ごとに色々な温泉が噴出してゐる。海法師海地獄などへも、私は観音寺で出来た連と一緒の乗物で見に行つたものだが、其の辺は一体に田圃や流れのなかからもぷすぷす硫黄くさい烟が立つてゐた。私はその後伊豆の温泉などへ行つたが、あれほど湯の豊富なところがないので、何となく物足りない気がしたほどである。それと同時に火のうへにゐるやうな日本といふ島国の不安さも貧寒さも思はれる訳で、日本が遅蒔きながら大陸進出を目論むのも無理からぬことではある。淫蕩な有閑階級や隠居の遊び場所である温泉の代りに、石油が無限に噴き出すとか宝石や金や鉄が到るところに採掘されるとかいふことだつたら、日本も亦相当恵まれた国土である訳だが、生産物が少しあるとしたところで、大衆までは行きわたらず、栄養価の乏しい米を頼りにして生きてゐるのは心細い。
 私は嫂の紹介で、嫂の叔母に当る人の家に落着いた訳だつたが、この叔母さんは嫂の弟で日米鉱油会社の当時の支配人であつた牧野氏に面影の似た人だつたが、何ういふ訳か土地の大親分の後妻となり、私の知つた時代は後家さんで、劇場を経営してをり、前妻の娘が三人あつて、夫々裕福に暮してゐた。劇場の脇にある住居の方には、鶴などが飼つてあつて、私は当がはれた日当のいい二階にゐて、肉胞などを取つてゐると、つい近くに見える山の裾に、既に梅が咲いてゐて、鶯が啼いていたが、そこからの夏蜜柑の枝には、黄金色の大きい蜜柑が成つてゐた。多分二月の上旬だつたらうと思ふ。其の時分は浴客といつても、大分とか熊本とか山口とか近県の人達ばかりで、大阪は勿論、東京人などは一人もなかつたやうに思ふ。私は東京にも遊学したことのある同じ年頃の青年のゐる、丸嘉といふ土地で一番大きいお茶屋へも、叔母さんにつれられて行つたものだが、そこのお神さんは叔…

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