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享楽人
きょうらくじん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「和辻哲郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年9月18日
初出「人間」1921(大正10)年5月号
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2012-02-06 / 2014-09-16
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 五、六年前のことと記憶する。ある夜自分は木下杢太郎と、東京停車場のそのころ開かれてまだ間のない待合室で、深い腰掛けに身を埋めて永い間論じ合った。何を論じたかは忘れたが、熱心に論じ合った。二人の意見がなかなか近寄って来なかった。そこを出て大手町から小川町の方へ歩いて行く間も、なお論じ続けた。日ごろになく木下が興奮しているように思えた。小川町の交叉点で――たしかそこで別れたように思うが――木下は腹立たしい心持ちを言葉に響かせてこう言った。
 ――結局僕が Genu[#挿絵]mensch で、君がそうでない、ということに帰着するんだな。
 この Genu[#挿絵]mensch(それを試みに享楽人と訳した)という言葉を、木下は誇らしく発音した。そうでないと言われるのが自分には不満に感じられたほどに。でその時はこういう結論で物別れになったのが、気持ちよくなかった。しかしこの言葉が自分の頭に残って、幾度か反復せられている間に、だんだんそれが木下と離し難いものとなり、木下の特性を示すもののように思われて来た。今度彼の『地下一尺集』を読んで最初に頭に浮かんだのも、実はこの言葉である。
「享楽人」を単に「享楽する人」、「味わう人」の意に解するならば、人間は総じて何ほどかずつは享楽人である。が、特に一つの類型として認められる享楽人は、一定の特性を持ったものでなくてはならない。その特性は、第一に「享楽」すなわち「味わうこと」を他の何ものよりも重んじ、それによって彼の生活に統一を求めることである。第二に、味わう能力の特にすぐれていることである。
 第一の特性は、美に浸る心持ちを善にいそしむ心持ちよりも重んずることを意味する。従って善への関心がないのではない。ただそれが美への関心の下位に立ちさえすればよいのである。むしろ善への関心の強く存在する方がこの特性を一層明らかにするだろう。なぜなら、善への関心が強まるほど美への関心は一層強まり、従って後者を「ヨリ重んずる」ことがきわ立って来るからである。
 たとえば我々が人の苦しみに面した場合には、その苦しみを味わうのみでなくさらに実際的にその苦しみを取り除こうとする衝動を感ずる。この場合我々は味わう態度にとどまっていることができない。味わう態度にいることは、ふまじめな、たわけたことにさえも感ぜられる。しかし我々は、苦しみを取り除こうとする衝動がいかに強く起こったにしても、必ずしもそれを取り除き得るとは限らない。その際には我々はさらに一層の苦しみを感ずる。この衝動が強ければ強いほどこの苦しみもまたはなはだしい。その時我々はどこに落ちつき場所を求めるか。落ちつけないという断念に――すなわちこの世を苦渋の世界と観ずることに、落ちつきを求めるか。あるいは絶対の力にすがるか。あるいはなすべきことをなし切らない自己を鞭うつか。あるいは社会の改造に活路…

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