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美食七十年の体験
びしょくななじゅうねんのたいけん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人の美食手帖」 グルメ文庫、角川春樹事務所
2008(平成20)年4月18日
初出「芸術新潮」1954(昭和29)年
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-01-02 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 美味談も考えてみるとなかなか容易ではない。前に木下の『美味求真』、大谷光瑞の『食』、村井弦斎の『食道楽』、波多野承五郎の『食味の真髄を探る』、大河内正敏の『味覚』など、それぞれ一家の言を表わしてはいるものの、実際、美味問題になると、いずれも表わし得たりと学ぶに足るほどのものではない。
 おのおの美味道楽の体験に貧困が窺えて敬読に価しない恨みがある。というのは、料理を作る力の経験を欠くところから、ものの見方、考え方が、皮相に終わってしまって物足りないのである。また一面、先天的素質にものいうものがないため、という理由もあろう。それに第一、美に感心がうすい。
 いずれにしても、食いもの話はあまりにも広く深いので、軽々に論じ切れるものではないようだ。だから多くのひとの食物談というものが、いつの場合もでたらめである。極言するなら、食物を楽しみきる術を知らないし、また意欲も足りない。
 わたしにしても美味道楽七十年、未だに道をつくすとはいい得ない。ただ道を楽しんでいるまでのことである。しかし、七十年も絶え間なく美味生活に没頭した結果、さすがに突き当たってしまい、最高の美味というていのものはほとんど影を没し、まことに不自由この上もないところに至ってしまった。「歓楽きわまりて哀情多し」の感なきを得ない。これが今日のわたしである。
 わたしを知る多くの者は、そうなって不幸だと思う。そうかもしれない。どうやら美食癖七十年の成果は不幸に終わったようだ。嘲笑に価するらしい。
 しかし、ひとの世でいろいろ与えられている天恵の中でも、命をつなぐ「食」、これをおろそかに受け取ることは相済まぬことである。数千数万の食物は、一々別々の持ち味をもっていて、人間に無上の楽しみを与えている。この一々の持ち味を受け取ってありがたく享楽するのが食事であり、料理の道理である。下手な料理で、ものの本質を殺し、せっかくの持ち味を台なしにしてしまうごときは、天に背くものといえよう。食ってうまくないものを怪しみもせず、無神経に食べて、腹ふくらし病気ばかりしているひとびとの姿は、まことに笑止千万といいたい。ラジオ、テレビ、雑誌で毎日のように栄養を説いているが、これは栄養失調者がこの世の中にいかに多くはびこっているかを物語っているものといえよう。
 幼稚な栄養研究者は、栄養食と栄養薬を混同しているようである。栄養食とは口に美味で人間を楽しませ、精神の親となるもの。栄養薬とは病人をいよいよ病人にするばかりの不愉快きわまりないもの。もう一度いってみよう。栄養というものは人間が自己の欲求して止まぬところの美味。これを素直にとり入れ、舌鼓打ちながら、うまいうまいと絶叫し続けるところに、おのずと健康はつくられ、栄養効果は上がるのである。多くの実例が示すように、栄養食がまことにまずいものと評されているようでは、理屈通りの栄養…

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