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世辞屋
せじや
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「明治の文学 第3巻 三遊亭円朝」 筑摩書房
2001(平成13)年8月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-09-23 / 2014-09-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 エヽ商法も様々ありまするが、文明開化の世の中になつて以来、何でも新発明新発明といふので追々此新商法といふものが流行をいたしまする。彼の電話機械といふものが始めて参つた時に、互に掛やうを知らぬから、両方で話をしようと思つても、何うしても解らなかつたといふ。夫は何ういふ訳かと後で聞いて見ますると、耳へ附けべき器械を口へ着けてやつたからだといふ。夫では聴えないから解らない筈です、夫から又蓄音器といふものが始めて舶来になりました時は、吾人共に西洋人の機械学の長けたる事には驚きました。実に此音色を蓄へて置く等といふは、不思議と申すも余あることでござりまする。殊に親、良人、誰に拘らず遺言抔を蓄へて置いたら妙でござりませう。幾度掛けてもチヤンと、存生中に物言ふ通り、音色が発するのだから其人が再び蘇生て対話でもするやうな心持になるのだから、大きに是は追善の為に宜からうと考へられまする。
 此器械を台にして其上へ又一工夫いたした人がある「何うも是は耳へ附けて聴くのに、ギン/\と微かに聴えて判然解らぬやうだが、何うか斯う耳へ当ずに器械をギユーと捩ると、判然音色が席中一抔に大音に聴えるやうに仕たいものだ。日本人種といふものは却々器用でござりますから、忽ち一つの発明をいたし、器械が出来て見ると、之に就いて一つの新商法の目論見を起しました。「見渡すに現今の世界は交際流行で、何うも此世辞は要らぬ事だと云ふけれど、是も言葉の愛で何うしても無ければならぬものだ、世辞に疎い性来の者は、何様に不自由を感じて居るかも知れぬから、種々の世辞を蓄へて置いて之を売つたら、嘸繁昌をするであらう。と考へ夫々趣向をいたし、一々口分にして番号札を附け、ちやんと棚へ、何商法でもお好次第の世辞があるといふ迄に準備が出来た、之で開店するといふのだが、何うも家屋の構造が六かしい、余り烈しい往来中ではいかず、と云つて衆人の目に立たぬければ不可から、入口を横町へ附け、表の方は三四間の所を細かい格子作に拵へ、往来の方へ看板を懸けました。同じ事でも妙なもので、料理茶屋から大酔致し咬楊子か何かでヒヨロ/\出て直に腕車に乗る抔は誠に工合が宜しいが、汁粉屋の店からは何となく出にくいもの、汁粉屋では酔ふ気遣はない、少し喰過て靠れて蒼い顔をしてヒヨロ/\横に出る抔は、余り好い格好ではござりませぬ。さて此世辞屋は角店にして横手の方を板塀に致し、赤松のヒヨロに紅葉を植込み、石燈籠の頭が少し見えると云ふ拵にして、其此方へ暖簾を懸け之を潜つて中へ這入ると、格子戸作になつて居ましてズーツと洗出の敲、山づらの一間余もあらうといふ沓脱が据ゑてあり、正面の処は銀錆の襖にチヨイと永湖先生と光峨先生の合作の薄墨附立書と云ふので、何所迄も恰当な拵、傍の戸棚の戸を開けると棚が吊つてあつて、ズーツと口分を致して世辞の機械が並んで居る。其此方には檜の帳場格子が…

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