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こうこく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻23 広告」 作品社
1993(平成5)年1月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-04-07 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 この一文は私の友人の著書の広告であるから、広告のきらいな方はなにとぞ読まないでいただきたい。
 このたび私の中学時代からの友人中村草田男の句集が出た。署名を『長子』という。
 一部を贈られたから早速通読して自分の最も好む一句を捨つた。すなわち、
冬の水一枝の影も欺かず
 草田男に会つたときこの一句を挙げて賞したところ、彼もまた己が意を得たような微笑をもらしたからおそらく自分でも気に入つているのであろう。
 彼は早くから文芸方面の素質を示し、いかなる場合にも真摯な研究態度と柔軟にして強靭なる生活意欲(芸術家としての)を失わなかつたから、いつか大成するだろうと楽しみにしていたのであるが、この著書を手にして私は自分の期待の満される日があまりにも間近に迫つて来ていることを知つて驚きもし、歓びもした。
 私は中村の著書の中に、子規以来始めて「俳句」を見た。
 もつと遠慮なくいえば芭蕉以後、芭蕉に肉迫せんとする気魄を見た。
 私には詩はわからない。なぜなら私は散文的な人間であるから。
 しかし私のいだいている概念からいえば、詩というものはひたすら写実の奥底にもぐり込んで、その奥の奥をきわめた時、あたかも蚕が蛾になるように、無意識のうちに写実のまゆを突き破つて象徴の世界に飛び出すものでなければならぬ。そしてそれはいかなる場合においてもリズムの文学でなければならぬ、少なくとも決してリズムを忘れ得ない文学でなければならぬと考えている。
 そして、私のこの概念にあてはまるものは残念ながら現代にはきわめて乏しい。
 そこへ中村の『長子』が出た。
 私は驚喜せずにはいられない。
 これこそ私の考えている詩である。彼こそは私の描いた詩人である。
 しかも、それが自分に最も近い友人の中から出ようとは。しかも、現代においては危く忘れられかけている「俳句」という、この素朴な、古めかしい、単純な形式の中に詩の精神がかくまでも燦然たる光を放つて蘇生しようとは。
 最初、中村から「俳句」をやるという決心を聞かされたとき、私はこのセチがらい時勢に生産の報酬を大衆層に要求し得ないような、そんな暇仕事を選ぶことについて漠然たる不満と同時に不安を感じた。
 しかし、いま彼の句を見て、その到達している高さを感じ、彼の全生活、全霊が十七字の中にいかに生き切つているかを知つて、私は自分の考えをいくぶん訂正する必要を感じる。しかし、その残りのいくぶんは依然として訂正の必要がないということは遣憾の極みである。
 彼ほどの句をものしてもなおかつ俳句では食えないのである。したがつて彼はいま学校の教師を職業としている。
 そしてこのりつぱな本も売れゆきはあまりよくないということを彼から聞かされた。
 私は私の雑文に興味を持つて下さるほどの人々にお願いする。なにとぞ彼の本を買つてください。
 彼の本はおそらく私のこの雑…

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