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新撰組
しんせんぐみ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「黒船前後・志士と経済他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年7月16日
初出「歴史科学」1934(昭和9)年9月号
入力者ゆうき
校正者小林繁雄
公開 / 更新2010-08-05 / 2014-09-21
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

一 清河八郎

 夫れ非常の変に処する者は、必らず非常の士を用ふ――。
 清河八郎得意の漢文で、文久二年の冬、こうした建白書を幕府政治総裁松平春嶽に奉ったところから、新撰組の歴史は淵源するのだが、この建白にいう「非常の変」には、もうむろん外交上の意味ばかりでなく、内政上のいみも含まれていた。さて幕末「非常時」の主役者は、映画で相場がきまっているように「浪士」と呼ばれたが、その社会的素性は何とあろうか。
 文久二年の春の伏見寺田屋騒動、夏の幕政改革、秋の再勅使東下――その結果将軍家は攘夷期限奉答のため上洛することとなり、その京都ではすでに「浪士」派の「学習院党」が陰然政界を牛耳っている。時をえた浪士の「非常手段」は、文久二年師走以来の暦をくってみるだけでも、品川御殿山英国公使館の焼打、廃帝故事を調査したといわれた塙次郎の暗殺、京都ではもうひとつあくどくなって、「天誅」の犠牲の首や耳や手やを書状に添えて政敵のもとへ贈り届ける。二月になると京都の岡っぴきは皆怖がって引退する。
 このような事態のうちに、清河八郎の建白による「浪士組」が、組織され、やがて分裂してそのなかから新撰組が、討幕派浪士を検索する京都特別警備隊としての役割につくが、こちらのほうもやっぱり同じ「浪士」である。この浪士とかの浪士の、同一性と差異性をあきらかにするには、それによってひろくは幕末非常時諸戦士の社会的素性の問題にも触れ、やがて新撰組の歴史を釘づける運命的な地盤そのものに達するには、伏見寺田屋事件をかえりみるのが近道だろう。
 幕政改革をめざす折衷派の盟主島津久光が上洛するその直前をねらって、七百の同志をもって伏見と江戸で同時に事を挙げ、京都所司代と江戸閣老を斃し、公武合体派を抑制しつつ一挙「鎌倉以前の大御代を挽回」するというのが、寺田屋に憤死した「浪士」派の、粒々半カ年にわたる工作の荒筋だった。この工作途上に、ことに前半、非常に大きな宣伝煽動家の役割をしたのが清河八郎、庄内の酒造家で豪農で郷士だった家柄の長男に生れ、江戸へ出て文武の道場を開いていた。ブルジョア地主出身のいわばインテリで白皙長身、満々たる覇気と女郎買いをしたことまで日記につける律気さがある。文久元年秋から二年春へかけての彼の活躍の跡を、なかんずくその連絡の結節をたどってゆくと興味深い。
 清河一味を京都における討幕派巨頭田中河内介に紹介したのは京都の同志で医師を職業とした西村敬蔵。河内介その人も本来但馬の医師の次男坊で、中川家諸大夫田中氏の養子となったものである。万延以来、鹿児島の町人で郷士是枝柳右衛門を通じて薩州その他九州の尊攘派と連絡がついているので、中山忠愛卿の教旨を持たせて清河らを肥後に送った。肥後の同志は直接ブルジョア的地盤を欠いている点に特色があったが、それだけ極端な尊攘派で、国学者や神主やを中心に、軽格士族が…

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