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若杉裁判長
わかすぎさいばんちょう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「菊池寛 短篇と戯曲」 文芸春秋
1988(昭和63)年3月25日
入力者真先芳秋
校正者久保あきら
公開 / 更新1999-09-19 / 2014-09-17
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 △△△地方裁判所の、刑事部の裁判長をしている、判事若杉浩三氏は若い時、かなり敬虔なクリスチャンでありました。
 が、普通クリスチャンの青年が、社会に出てしまうと、まるきり物忘れをしたように、けろりとクリスチャンでなくなるように、若杉さんも、いつの間にか、青年時代の信仰をどこかへ置き忘れていました。それは、大学時代に作ったたくさんのノートの中へ置き忘れたのか、それとも司法官試補の時にむやみに追い使われた、ある地方の区裁判所の事務所のベンチに置き忘れたのかわかりません。
 が、今では若杉さんは、決してクリスチャンではありません。誰が見ても、あの法服を着て法廷に澄まし込んでいる若杉裁判長が、青年時代に、熱烈な信仰を懐いていたことには、気がつきますまい。が、ドイツの学生が、若い時に血気に任せて盛んに決闘をやった傷痕が、官僚政府に出仕して意気地なしの老官吏に成り果てた後までも、彼らの老顔の皺の間に残っているように、若杉裁判長の青年時代の信仰も、やっぱりどこかに痕跡を残していたようです。
 それはほかでもありません。若杉裁判長は、罪人に対して非常に深い同情を持っていたことです。ことにその罪人が、犯した罪を少しでも後悔し、懺悔でもしているような様子が見えると、裁判長の判決は、立会の検事を呆気にとらせるほど、寛大でありました。むろんこんな時、立会の検事は必ず控訴をしました。その控訴が棄却になることもありましたが、かえって原判決が取り消されて、もっと重い判決が下ることもしばしばありました。
 もとより、裁判長としては、自分の下した判決が取り消されることは、決してその人にとっては、名誉でありません。が、それにもかかわらず、若杉裁判長の判決は、いつも寛大に失するくらいでありました。裁判長が若杉判事だと知ると、事情を知った被告は、小躍りして欣ぶまでになりました。
 世人を戦慄させたような極悪人の場合は別として、世人は、被告が寛大の刑に処せられることに対して、大した抗議を懐くものではありません。否、その被告人にいくらかでも同情すべき点がある時などは、世人は刑罰が軽ければ軽いほど、一種の快感を感ずるものです。まして、その被告人に少しでも縁故のある人たちが欣ぶのは、無理もありません。こうした訳合で、若杉裁判長が、いつの間にか名裁判長の名を謳われ出したのも、決して不道理ではありますまい。
 むろん、若杉裁判長が、罪ということについて、普通の裁判長とは、まったく違った考えを懐いていたことも当然なことです。この人は、どちらかといえば、決して、裁判官という柄ではなかったのです。あの薄暗い法廷で厳しい顔をしている法官としては、あまりに繊細な感情を持ち過ぎていたのです。実際当人も、最初から法科を、やろうなどという意志は、毛頭無かったのです。東京の高等学校にいた頃は、文科で、しかも哲学志望でありまし…

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