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ある職工の手記
あるしょっこうのしゅき
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 49 葛西善藏 嘉村礒多 相馬泰三 川崎長太郎 宮地嘉六 木山捷平 集」 筑摩書房
1973(昭和48)年2月5日
初出「改造」1919(大正8)年9月号
入力者林幸雄
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-10-13 / 2016-11-08
長さの目安約 44 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私の家はどういふわけか代々続いて継母の為に内輪がごたくさした。代々と云つても私は自分の生れない以前のことは知らぬが、父の時代が既にさうであつた。父は早く実母に死なれて継母にかゝつた。その継母に幾人もの男の子が出来て、父は我が家にゐるのが面白くなくなつて遂に家を飛び出した。父は長男であつたが亡父の遺産を満足に受けつぐことも出来なかつた。それは継母の奸策の為めであつた。
 私も丁度父と同じやうな行き方になつたと云ふのは何と云ふいんねんだらう。私は長男であつた。継母には二人の女の子が出来た。その女の子が私よりは大事がられて育つのを私は平気で見てゐられなかつた。質のよくない継母は私のさうした妹に対する嫉妬的な心理を知れば知るほど、私になほさらそれを見せつけた。尤も一年中そんなことばかりはなかつたが、兎に角私は家にゐるのが面白くなかつた。それに父までが継母と同類のやうにさへ私には見え出したのである。一年一年成長して行くだけ私の継母に対する観察は深刻になり、皮肉になり、父に対しては冷笑的になつた。同時に継母の私に対する憎しみもあくどく、そして辛辣になつた。父もそれに随従した。私の父は少し後妻に巻かれる方であつた。私と云ふ先妻の長男を家庭内で冷遇することが少なからず後妻の気に叶ふので、父はさかんに私を冷遇して後妻に媚びる癖があつた。父は自からそれを気づいてゐたかどうかは知らぬが、私はその頃まだ十二三の少年であつたが、父の愚劣さを認めてゐた。
 父は私を家庭に置くことさへ後妻に遠慮して私を仕立屋の叔母の家へ弟子入りさせたりした。私は其所でも意地の悪い叔母の亭主に冷遇され、それでも一年以上辛抱したが、病気になつて家へ帰つた。私は叔母の家へゐる間父のことをどんなに気にして考へたか知れなかつた。私は家にゐると父をさほどに思ひはしなかつたが、家を離れると朝夕父のことを思はずにゐられなかつたのだ。父の善良なこと父が曾て私を誰れよりも可愛がつてくれたこと、父が一頃親類先の旧い借金に苦しんでゐた当時の心事を私は自分の記憶から呼び起しては父に対する感傷的な涙を味はつた。仕立屋の一年間はさうした悲しい日が多かつた。殊に酒好きな父の泥酔がいちばん気になつた。
 然しそれほど心に思つた父も私が家へ帰つて病気がよくなると、一日も早く仕立屋に行くやうにとすゝめた。私は叔母の亭主といふ人が心から嫌ひであつた為めに、仕立屋に再び行く程ならば何処か他の商店に奉公したいと父に云つた。間もなく或る呉服屋の徒弟にやられた。然し半年とは辛抱しきれなかつた。それなり一年あまり私は家に止つて家業の手伝ひをしてゐた。その頃私の家は佐賀ステーション前に宿屋を営んでゐたのである。家業柄私は家にゐればいろ/\の役に立たぬではなかつた。尤もそれは小僧同様の役ではあつたが、例へば客の乗車券を買つて来てやつたり、ステーションまで…

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