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美的生活論とニイチエ
びてきせいかつろんとニイチェ
作品ID50635
著者登張 竹風
文字遣い新字旧仮名
底本 「近代浪漫派文庫 14 登張竹風 生田長江」 新学社
2006(平成18)年3月12日
入力者田中敬三
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-12-12 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

高山君の「美的生活論」を一読せる吾等は、不覚拍案快哉を呼び、心窃かに以為らく。これ実に空谷の跫音也、現代の文士は両手を挙げて之を賛すべしと、然れども事実は此の如くならざりき。これそも/\何の故ぞ。
吾等は吾国批評家の文を読むごとに、その論難の多くは、語の概念の争に止まり、議論の大体に通ずること少なきを歎ぜざる能はず。漫に自己の心を以て他人を忖度し揣摩臆測を以て無用の文字を重ね、恰かも群盲の鼎を評するが如き観あるは、実に今の批評家の通弊に非ずや。
吾等の見る所を以てせば、高山君の「美的生活論」は、明かにニイチエの説にその根拠を有す。さればニイチエが学説の一斑に通ずるものに非ずんば、到底その本意を解し難し、況んやその妙味をや。
高山君曰く、人生の幸福は本能の満足にあり、本能とは人性本然の要求是也と。
ニイチエの説く所は少しく之と異なり。彼は幸福といふ文字を用ゐるを好まざりき。然れども彼も亦高山君と同じく、本能を以てその人生観の基礎となせり。然らば則ち本能とは何ぞや、ニイチエの所謂本能は自由の本能なり。(Instinkt der Freiheit)彼が道徳に反抗し、法律を無視し、社会の制度を侮蔑せるは、一に唯かの自由の本能の発達を冀ふが為のみ。
高山君は自由の語を放たざりき。然れども、その所謂本能は自由の本能なることは、また疑を容るゝを要せざるなり。何が故に善徳を修め智識を研くよりも、一盞の美酒を捧さげて清風江月に対するが、本能の満足に適へるか。後者の前者よりも自由なるがために非ずや。彼には桎梏あり、此にはこれなきがために非ずや。何が故に慈善に狂するよりも、佳人と携へて名手の楽を聴くが、本能の満足に適へりや。彼には束縛あり。此には自由あるがために非ずや。
然らば高山君は何等の根拠に基きて、かゝる自由の本能の満足を以て美的生活と呼べるか。ニイチエは以為らく。余に向ては余が美しと思惟し能ふものゝみ美なり。余が官能に媚び余が自我心に服従するものゝみ美なり。世間一般の煩瑣なる芸術の法則の如き、余に於て何かあらむと。
高山君の本能の満足を以て、美的生活と呼べる所以は、ニイチエがこの語を知らざるものゝ解すること能はざる所ならむ。
高山君は、何が故に戮力を要して成れる道徳を以て虚偽なりとなし、悪心あるものとなせるか。ニイチエの悪心説(das schlechte Gewissen)を知らざるものは、またこの意義を解することを得じ。(拙著ニイチエと二詩人参照)
高山君は、智識道徳を以て相対的価値あるものとなし、本能を以て絶対的価値を有するものとなせり。ニイチエの所謂「世に真なるものなし、一切のもの凡べて許さる」の警語は、明かに同様の意義を表するものに非ずや。
高山君の論を読むものは、またその論のニイチエの夫れと同じく、詩人の世を憤る声なるを忘るべからず。
吾等は「美的生活論」を読み…

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