えあ草紙・青空図書館 - 作品カード


広告

俳諧師
はいかいし
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「俳諧師・続俳諧師」 岩波文庫、岩波書店
1952(昭和27)年8月25日
初出「國民新聞」1908年(明治41)2月~9月
入力者青空文庫
校正者酒井和郎
公開 / 更新2016-04-08 / 2016-03-20
長さの目安約 169 ページ(500字/頁で計算)
えあ草紙で読む
HTMLページで読む

広告

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

find Audible YouTube

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

楽天Koboで表紙を検索

広告

本文より



 明治二十四年三月塀和三藏は伊豫尋常中學校を卒業した。三藏は四年級迄忠實な學校科目の勉強家で試驗の成績に第一位を占める事が唯一の希望であつた。それがどういふものか此一年程前より試驗前の勉強は一切止めた。この卒業試驗前は近松の世話淨瑠璃を讀破した。試驗の答案は誰より早く出して殘つた時間は控室で早稻田文學と柵草紙の沒理想論を反覆して精讀した。
 三藏の父は竹刀を提げて中國九州を武者修行に[#挿絵]つて廢藩後も道場を開いて子弟を教育したといふ武骨一片の老人で、三藏はその老後の子であつたに拘らず家庭の教育は非常に嚴格であつた。「三藏炭取を持つて來い」といふ聲にも「やつ」と竹刀を握つて立合つた時の氣魄が籠つてゐるので、三藏は覺えず言下に「はい」と蹶起せねばならぬやうになる。「三藏此手紙を高木へ持つて行てくれぬか」といふ聲はゆつたりしてゐるが、三藏は其手紙を受取るや否や下駄を突掛けて駈け出さねばならぬほど其聲に威嚴がある。さうして其謹嚴な半面には又他愛も無い愛情がある。三藏が中學校に這入つた後迄も、外出して歸つた父の袂からは紙にくるんだ煎餠位のお土産が出ぬ事は稀であつた。父が亡くなつてからも同じく嚴肅な兄の膝下に保管されて、さうして際限も無い老母の愛に甘やかされた。三藏は人に對して極めて柔順で素直で氣が弱くつて、さうして何處か我儘で敗嫌で、虚榮心の強い性質に育て上げられた。
 兄は「金儲けには醫者がいゝよ、醫者にならぬか」と勸めた。三四年前或寺を借りて毎月演説會をした仲間は「君は政治家になる筈では無かつたのか」といつた。三藏は醫者は思ひもよらぬ、金なんか儲けなくつてもよいと思つた。政治家は初めその花やかな點が心を牽いたが、後になつて「雪中梅」や「佳人の奇遇」で想像してゐたのとは違つてゐる事がわかつて來て政治家も面白くないと思つた。かくて三藏は文學者と決心した。文學は束縛の少ない自由の天地である上に又政治についで花やかな天地である事も三藏の心を牽いた一つの原因であつた。
 松山一の老櫻のある料理屋に同窓生の祝賀會が開かれる。御詠歌の上手な同窓生の一人が『普陀落や岸うつ波』と茶碗を箸で叩いて唄ふと、小さいおもちやの傘と、これも杉箸を杖の代りに持つてをばさんと仇名のある滑稽家の粟田が妙な身振りをして『順禮に御報捨』と可愛らしい聲を出す。こゝまでは趣向が出來たが『今日は幸い夫の命日、お手のうち進ぜませう』といふ塗盆を持つて立つて行く役割に當るものが一人も無い。三藏は乾いた口を開けて「僕がやらう」といふ。「君が遣るか」と粟田が眞面目な顏をして驚く。茶碗が鳴る。『普陀落や岸うつ波』と唄ふ聲が響く。をばさんは目をしよぼ/\させ乍ら首をかしぎ『順禮に御報捨』と絲のやうな聲を長く引つ張つてゐる。いざとなると三藏は喉が詰つて口がきけぬ。をばさんは又『順禮に御報捨』と改めていふ。三藏は…

えあ草紙で読む

ライフメディアへ登録

Koboユーザー必見!
楽天スーパーポイントとは別に
価格の5%がポイントに!

find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2016 Sato Kazuhiko