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民衆芸術の精神
みんしゅうげいじゅつのせいしん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「芸術は生動す」 国文社
1982(昭和57)年3月30日
入力者Nana ohbe
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-26 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 ミレーの絵を見た人は、心ある者であったならば、誰しも涙ぐましさを感ずるであろう。ミレーは貧しい人間の生活をほんとうに見ているように思われます。貧しいといって、それは、田舎の百姓の生活であり、また、無産者である多数民衆の生活であります。
 邪念なく労働に服する人、無心に地の上で遊んでいる子供、そして、其処に生きているには変りのない、人間も、小羊も、また鶏に至るまで、同じ霊魂を持つことによって、軽かな大空の下に呼吸することに於て変りのない、其等がみんな仲の好い友達であり、さびしい時の話相手であることを、ミレーは厚く見ていたのであります。
 私は、いま、彼の描いた、田舎家の一隅を思い出さずにはいられません。それは、まだ年若い母親が、膝の上に乳呑児をのせて、何かあたゝかなものを匙ですくって、急がずに落ついた調子で子供に与えています。子供は、柔らかな長い衣物に包まれている。そのなよやかな、弱々しく見える、肉体の表わした衣物の上の線は、実にほゝえまずにはいられないほど無邪気な、何ともいえない、また貴い味いを、腰かけている母親の温かな、ふっくらとした膝の上に描いています。
 あくまで描く上に真実であるミレーは、これだけに満足しない。傍には土鍋の如きものに、多分牛乳か、粥のようなものが入っているのであろう。其れから白い湯気が立ち上っています。うす暗い、煤けた家の裡の陽炎のように上る湯気には、また限りないなつかしさが籠る。そして季節は秋の末であろうか、ストーヴには火が燃えている。小猫が、安心をして、其の傍に火の方を向いて坐っている。
 ミレーは、独り、この絵ばかりでなしに、どの絵に於ても、あまり多くを語り過ぎると思う程であります。しかし、そこにまたミレーの真実さがある。正直に見、正直に感じ、そして、それについて多く、深く思い、さらに天地の間の生命ある者に即して思う。画家にして、同時に熱烈な詩人であったミレーの永久に民衆の良心に培う叫びが聞かれる所以なのです。
 私は、思い出すまゝ、偶然ミレーを最初に例として言ったが、同じく、悲痛な、そして、民衆的な、言い換えれば人間的な、共に、人の心を動かさずには止まない、真実の存在をレムブランドの芸術に、また、トルストイの芸術に見ることを得るのであります。
 私は、また、二たびミレーの絵にもどって言うが、なんという母親の子供に対する温かさだろう。子供は、また、安心をしている。恐らく子供は、母親に抱かれている時程、安心している場合が他にないともいえる。たとえ、火の中へでも、また水の中へでも、母親とさえいっしょであるならば、はいることを厭わない。それは、ちょうど真理に奉仕する殉教者のように、また深い信仰を有する人が神について惑わないように、刹那まで安心して微笑んでいるでありましょう。
 かくて太平和の家庭にあっては、命あるものは、みんな同情し…

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