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書を愛して書を持たず
しょをあいしてしょをもたず
作品ID51801
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「芸術は生動す」 国文社
1982(昭和57)年3月30日
入力者Nana ohbe
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-20 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は、蔵書というものを持ちませんが、新聞や、雑誌の広告に注意して、最新の出版でこれは読んで見たいなと思うものがあると求めるのがありますが、旧いものは、これは何々文庫というような廉価本で用を達しています。読んでしまえば、それでいゝようなものゝ、性来の潔癖もあって、汚れたのや、破れたのは、どうしても手に取る気がしません。少なくも、その書中から、滋養を摂るのに、それも稀にしかない本でゞもないかぎり、手垢がついていては、不快を禁ずることができないのであります。
 書物でも、雑誌でも、私はできるだけ綺麗に取扱います。それなら、それ程、書物というものをありがたく思うのかというに、それは、自から別問題という気がします。

 表題だけを見る時、「あゝこういう本が読みたかったのだ」と、興奮に近いものを感じながら、早速これを求めることがある。よく、こうした例は、屡々青年時代にあったことで、丸善の店頭などで、日頃名をきいている欧米の作家や、批判家の最新の著書を見出すと、これを読めば、明日からでも、自分の見識が変るような気がして、それでなくてさえ、何をか常に追うている時代であったら、金がなかった時には、本箱の本を売っても、新書を求めたものでした。
 本の包みを抱いて帰る道すがら、また、その二三日というものは、強い味方が自分に付いているような気がしたが、たま/\友達のところへ遊びに行って、同じ本を机の上にながめた時、いまゝでの興奮はどこへやら消えてしまったのでした。
 そればかりでありません。同じような本を誰彼の処で見出した時、「みんなが流行を追うているんだな」と、あまり自分達に個性がなさすぎるのが悟られて、反動的に、自己憎悪を感じたのでありました。

 事実、面白いといわれたので、自分に少しも面白くないものがあります。その文体が、そこにあらわれた趣味、考え方が、どうしても、ぴたりと心に合致しないのです。私は、書物は独立した一個の存在であると信じています。そこには、著者の個性があり、また感情があります。従って、これを好むと好まざるとは、互の素質に因らなければなりません。殊に、文学や、芸術に関するものに於て、このことがいわれます。
 ある種の文体は、それを好む人達にとって魅力があるにしても、ある人々にとっては、全く縁なきものであります。一行、一句にも心を捕えられ、恍惚として、耽読せしむるものは、即ち知己であり、その著者と向志を同じくするがためです。眼だけは、文字の上に止っても、頭で他のことを空想するように、感ずる興味の乏しいものは、その書物と読む者の間が、畢竟、無関係に置かれるのを証する以外に、何ものでもありません。それであるから、所謂、良書なるものは、その人によって、定められるのが当然です。

 自分が、真に愛読するという本は、そう沢山あるものでない。面白く、読み終らせるだけでも、…

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