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獅子舞雑考
ししまいざっこう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「タブーに挑む民俗学 中山太郎土俗学エッセイ集成」 河出書房新社
2007(平成19)年3月30日
初出「民俗芸術 第三巻第一号」1930(昭和5)年
入力者しだひろし
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-05-30 / 2014-09-16
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

一、枯れ木も山の賑やかし

 我国の獅子舞は、起原をアッシリヤに発し、支那を経て輸入されたものであると、説く学者がある〔註一〕。しかしながら有体に言えば、私の貧弱なる知識では、この説の前半の当否を、批判することが出来ぬのである。何となれば私はアッシリヤに関しては、毫末の知識だに有していぬからである。けれども、その後半である支那からの輸入ということについては、多少とも批判を加えることが、出来るように考えている。
 全体、我国の獅子舞については、従来これに関する発生、目的、変遷など、かなり詳細なる研究が発表されている。(A)文献学的の稽査としては、喜多村信節翁の「[#挿絵]庭雑考」に載せたもの、(B)民俗学的の考覈としては柳田国男先生の「郷土研究」第三巻に収めたもの、(C)舞踊史的の観点に立脚したものでは、小寺融吉氏著の「近代舞踊史論」における記事を主なるものとして、この他の随筆的のものや、断片的のものに至ってはむしろ多きに苦しむほど存しているのである。従って、今更に獅子舞の起原とか目的とかを、考証せんと企てることは、所謂六菖十菊の愚を敢てするものとして、いたずらに識者の歯を寒からしめるのであるかは知らぬが、下世話に言う枯れ木も山の賑やかしとやら、笑われるのもまた学問のためと観念して、ここに管見を記して高叱を仰ぐとする。

二、獅子舞に関する先輩の研究

 私は管見を述べる前に、既載の代表的研究の論旨を検討し、それを略記する。そして喜多村翁の所説は、獅子舞は西域の亀茲国の舞楽が、支那の文化とともに、我国に渡来したのであると云う、純乎たる輸入説である。柳田先生の所論は、我国には古く鹿舞と云うものがあって、しかもそれが広く行われていたところへ、後に支那から渡来した獅子舞が、国音の相通から附会したものである。その証拠には、我国の各地において、古風を伝えているものに、角のある獅子頭があり、これに加うるのに鹿を歌ったものを、獅子舞に用いていると云う、謂わば固有説とも見るべき考証である。さらに小寺氏の観察は、大体において柳田先生の固有説を承け〔註二〕、別にこれに対して、我国の鹿舞の起ったのは、トーテム崇拝に由来するのであると、附け加えている。
 そこで、今度は管見を記すべき順序となったが、これは私も小寺氏と同じく、柳田先生の御説をそのまま拝借する者であって、別段に奇説も異論も有している訳ではない。ただしいて言えば、我国の鹿舞と支那から来た獅子舞とは、その目的において全然別箇のものがあったと云う点が、相違しているのである。殊に小寺氏のトーテム説に至っては、あれだけの研究では、にわかに左袒することの出来ぬのは勿論である。

三、獅子頭に角のある理由

 こう言うと、何だか柳田先生の御説に、反対するように聞えるが、角の有無を以て鹿と獅子の区別をすることは、再考の余地があるように思…

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