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坂本竜馬手記
さかもとりょうましゅき
副題イロハ丸航海日記
イロハまるこうかいにっき
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂本龍馬といろは丸事件」 福山市鞆の浦歴史民俗資料館
2008(平成20)年10月17日
入力者Yanajin33
校正者Hanren
公開 / 更新2010-12-18 / 2014-09-21
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

四月廿三日夜危難之後明光丸ニ移り鞆の港ニ上陸ス。時に廿四日朝五ツ時頃也。市太郎、英四郎に命じて士官水夫の宿をとらしむ。独り梅太郎、高柳楠之助のまねきによりて道越町魚屋万蔵の家にいたりて高柳ニ会ス。(但、高柳ハ明光丸頭取)高柳曰ク此度明光丸ハ於長崎ニ、船の求め方ニ付て急ニ参らねバ数万金にかゝわり候事なれバ、御気毒ながら此度の論議ハ長崎まで御まち被レ下候や、かく申せバ御うたがひ被レ成候べけれども申上候事ハ間違あるまじく。梅太郎曰ク御うたがひ不二申上一候、とても紀の国を引てにげ候事ハ無レ之候得バ、御うたがひ申不レ上候。私方老主人も急用有て上京、夫ニ付て兵器等日を限りて運送仕候事に御座候得バ、船の士官のミ申付てもよろしく候得ども、非常の急用故ニ、私をさしそへ上坂仕候。惣じて此度の義論ハ此処ニて双方士官を出し論じて是非を辨じても宜候得ども、左様致し候得バ必争論難レ止相成候べし。当時朝廷之御様子及幕府ニもいまだ長州の義かた付不レ申、其上今年ハ外国人摂海へ定約開港の申立ニも相成、実ニ神州之大事此時にあたりて紀土の争を生じ候バ尤可レ恐事ニ在レ之候間、何卒都合宜きよふ仕度候。然レ共私し此儘長崎に帰り唯双方間違より船を失ひしとて、主人の急用をかぎ候事ハ、実に命の在かぎりハ申兼事ニ御座候。此危難ハ是非なき事に御座候得ども、何卒紀州御政府の論土佐重役の論の定まるまでハ、御船明光丸を此港に御止メ可レ被レ下候哉。昨夜も海上ニて申上候通りニ御座候。此度双方の船共に沈没致し候時ハ御同様ニ上ミの急用をかぎ候事に御座候。高柳が曰クあつき御思召難レ有此度ハ勘定局重役も船ニ乗組在レ之候得バ、一同申レ談御返答申上候。当時土佐出崎の御重役ハ何と御申候哉。梅太郎が曰ク後藤庄次郎ト申候。夫より我士官の宿石井町桝屋清左衛門方ニ帰ル。夕方ニ至りて明光丸士官両人来ル。梅太郎昼ねしたり、小谷耕蔵面会ス。」かの両人曰ク、高柳の御頼の如ク又急ニ出帆仕度候得バ御論決の処受たまはりたしと申入て帰ル。廿五日朝昨夕の両士来りて吾論決を聞ク。」梅太郎曰ク紀州侯は[#「紀州侯は」は底本では「紀州候は」]別段重キ御家、其上御主人の御急用の御事、私方ニおゐてハもはや沈没して跡なき船ニて在レ之候。是を大キ成る眼を以て見れバ今日なきものハ仕方なけれども猶存するものハ其用をなす(とも)事世間の道理ニも相叶候べく、此儀ハ後刻彼の道越町魚屋万蔵方まで罷出高柳先生御旅宿まで使さし出候。」両士帰ル夫より魚屋ニ行高柳来ル」高柳曰ク昨日より暖々相願候事ハ御聞取被レ下候や」梅太郎曰ク御尤ニ承候。然ルニ御相談の事ハ誠ニ御和談の御事ニ候得バ、私よりも相願候事有レ之候。惣じて私の論ハ外ニ無レ之御同様ニ公論を相尋義のある所に順ひ申度、夫故先生よりも何べんとなく御申直し可レ被レ遣候。私よりも折返して申上候。其内自然公論ハ出来可レ申存候。此度の事ハ御船明光丸も与に…

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