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歴史とは何か
れきしとはなにか
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻99 歴史」 作品社
1999(平成11)年5月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2012-01-01 / 2014-09-16
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 世界の文化民族の多くは、その文化が或る程度に発達して文字が用ゐられて来ると、今日常識的に歴史的記録といはれるやうなものを何等かの形に於いて作り、さうしてそれを後世に伝へた。さういふものの由来、特にその前の段階としてのいひ伝へのこととか、民族によるその特殊性とか、またはそれらがどれだけ事実を伝へてゐるかとか、いふやうなことは、別の問題として、今はたゞそれらが主として人のしたこと人の行動を記したものであること、従つてまたその記述がほゞ時間的進行の形をとつたもの、いひかへると何ほどか年代記的性質を帯びてゐるものであること、を回想したい。自然界の異変などが記されてゐても、それは人がそれに対して何ごとかをし、またそれが人の行動に何等かのはたらきをするからのことであり、個人の行動ではなくして一般的な社会状態などが語られてゐる場合があるにしても、それはもとより人がその状態を作り、またその状態の下に於いて行動するからのことである。上代の歴史的記録がかゝるものであることは、人がその民族の生活に於いて、何ごとを重用視し、何ごとを知らうとし、何ごとを後に伝へようとしたか、を示すものであつて、それは歴史の本質にかゝはることなのである。勿論、今日の歴史学にとつては、さういふものはたゞ何等かの意味での史料となるに過ぎないものであるが、歴史学の本質はやはり同じところにある。歴史上の現象はどんなことでもすべてが人のしたこと人の行動だからである。
 歴史は人の行動によつて形づくられるものである。外面に現はれた行動はいふまでもなく、心の動きとても、人の心の動きであるので、それを広義の行動の語に含ませることができよう。ところが人は具体的には個人である。民族の動き社会の動きといつても、現実に行動し思惟し意欲するものは、どこまでも個人である。或る民族の生活様式、風俗、習慣、道徳、宗教的信仰、または一般的な気風といふやうなもの、その他、その民族に於いて何人にも共通のことがらはいろ/\あるが、現実に喜怒哀楽するものは個人である。社会組織とか政治上の制度とか経済機構とかがあつて、それが個人といろ/\の関係をもつてゐるけれども、現実に行動するものは個人の外には無い。さま/″\の集団的な活動がせられ、またいつのまにか行はれてゆく社会の動きとか世情の変化とかいふことがあつても、現実には個人の行動があるのみである。集団は単なる個人の集りではなくして、集団としての特殊のはたらきをするものであり、社会の動きもまた単に個人の行動の集められたものではなくして、それとは性質の違つた、社会としての、はたらきによる、と考へられる。けれどもそのはたらきは、多くの個人の間に相互にまた幾様にも幾重にもつながれてゐる錯雑した関係に於いて、断えず行はれるいろ/\のことがらについての、またさま/″\の形での、作用と反作用との入りまじつた…

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