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菜の花月夜
なのはなづきよ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「花の名随筆3 三月の花」 作品社
1999(平成11)年2月10日
入力者岡村和彦
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-02-21 / 2014-09-21
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 巨大な高原だ。どこまでも拡がる裾は菜の花で、盛り上つて、三里北の野末に、日本海が霞んで見える。淡彩の青の中に、ポッチリ泛んだのが隠岐の島だ。
 菜の花月夜の季節が来た。
「菜の花月夜ぢやけん、今に誰かが狐に騙されるぢやろ」
「助平が一番騙され易いさうぢや」
「一ぺん、別嬪の狐に出会うて見たいわい」
 村の若い衆は農閑期の気安さに夜が更けるまで、さまよひ歩いた。
 日本海が大口開けて吐く靄は、月に濡れた菜の花盛りの、高原目掛けて押し寄せた。されば此のおぼろに乗じて狐も跳梁しよう……草のいきれと花の吐息とは、靄に溶けた月光の中にしのぶ狐の脂粉を思はせた。
 だが、狐に用心してゐる間に、もつと恐しい欺瞞の計画が、地主とその手先きとの手で実行される日が来た。
 小作人たちは、どうも昔のやうに云ふことを聞かなくなつて来た。野放図な奴は、地主に口答へするばかりか、かげでは不隠な[#「不隠な」はママ]悪口も云つてゐる。要するに、小作人たちは次第に「悪化」する気配だ。で、これは村のために良くない事だ、と地主の秋山の胸は考へる度にギクリとするのだ。
「わしは昔がなつかしいよ。村全体が一家のやうに丸く治まつてゐた昔がなア。わしが大きな家族の主人で、みんなは俺の子だつた、それほど良うなづいて、仲良う働いて呉れたのに――今はどうぢや。小作料が高いの、人間は平等ぢやなぞと抜かして、屁理窟ばかりこね居るわい。それぢやア百姓は立つて行けんぞな」
 地主の秋山は嘆息して、「わしの不徳だが」と言ひ添へた。
 お可哀想な御主人さま、農村の美風をどうして昔に取り返さうかと悲しんで居なさると思ふと、秋山の番頭みたいに、米の検見や小作米の取立てを勤めてゐる山口は一つどうしても智慧袋をしぼらねばならぬ破目だつた。
 で、山口は好いことを考へついた。
「小作人共には、酒を飲ませちやるに限りますわい」
「ふむ。費用はどの位ぢやらう」
「まア張り込みなされ。若旦那の婚礼が宜しうござりましよ。早う嫁ごを捜して、この農閑期のうちに、盛大な式をあげなされ、その時、うんと飲ませちやつて、荒つぽい奴らの気持を柔らげちやりなされ」
「うん、よし、嫁を早う捜せ」
 番頭は、しめたと思つた。仲人料も貰へるしといふ肚だつた。そして、早速嫁捜しに取りかゝつたが――花嫁はやがて見つかつた。
 その婚礼の日取りが、菜の花月夜の最中に当るのだつた。



 婚礼の夜が来た。
 地主の息子といふのが、少々抜けた若者だつた。今頃は娘つこだつて、親が勝手に取決めた婿は一応悲しい顔で否認するのが常識なのに、地主の息子正吉は、一遍の見合ひをする暇もなく早々に取決められた縁談に対して、懐疑的な嘆息ひとつしなかつた。
 彼はたゞ嬉しいのだ。
 地主の邸の庭さきに、小作人から選抜された声自慢が花嫁をお迎ひする人足として、集つてゐた。これら…

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