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落葉
おちば
著者
翻訳者上田 敏
文字遣い旧字旧仮名
底本 「上田敏詩集」 玄文社詩歌部
1923(大正12)年1月10日
入力者川山隆
校正者Juki
公開 / 更新2012-08-22 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 樹々に落葉のある如く、月日にも落葉がある。無邊のあなたから吹いて來る音無の風は歳月の樹々を震はせて、黄ばみ戰く月日をば順々に落してゆく。落ちてどこへ行くのだらう。黄ばみ戰く木の葉はどこへ行くのだらう。言ふまでも無く、それは自然が歳々の復活を營むあの大實驗室へ行くのだ。それがまた新に青くなつて、一樣になつて、歸り來る時、葉の裁方にまで變が無い、白楊の葉は心の臟、橡の樹のは掌、篠懸の樹のは三叉の鋒の形だ。然しあの黄ばんで、戰いて散りこぼれた月日の落葉は一體どうなつたのだらう。遠い、遠い、未知不可思議のいかなる世界へ、永久に持ちゆかれて了つたのか。誰もこれを復見たことが無いからだ。なるほど、年々の若葉ともいふ可き新の月日、また世に出ない月日、待受けぬ月日、意外の月日、好になる月日、恐しい月日は歸つて來ても、過ぎた昔の親みのある、願はしい、待受けてゐるあの月日は戻つて來ない。年々歳々の木の葉の方は、たとひ、われらが認め得ないとても、必らず再び立歸る。
 然り、これも月日である。始あり、終あり、光あり陰あつて、闇に生れ、闇に消えゆく。たしかに月日だ、然し同じものではない。其頬笑も顰め顏もてんで違つてゐる。授け與へる其悦は少しの物吝も無く分配されるが、香が違ふ、色が違ふ。昔、君を恍惚たらしめたあの笑顏にまた逢はうなどと望み給ふな。あれはもう亡くなつた。其生れるのを見た月日が戻つて來ない如く、これは君の愛する顏の上にまたと立歸るものでは無い。それでは、せめて、君の愛する其顏だけでも、其儘變なくまたと眺められるだらうか。悲しいことには、さういかない。或は思做でさうと瞞されることはあつても、儚い心の試に過ぎぬ。月日は闇に消えゆきながら、人間の顏を少しづゝ記念として持ち去るからだ。或は、遠くの遠くの不思議な世界まで、これらの顏の斷片を持つていつて、それを土臺に全く別の新しいのを造上げるかも知れないが、これとても確とは受合はれぬ。
 然り、この世に同一の物は無い、決して無い。緩いのも、急なのもあるが、とにかく疲勞を知らぬ一大運動があつて、兩端の終に合する事の無い組踊の中に萬物を引込むのである。歳が暮れて行く、まだ一日あるぞ。其一日が過ぎて行く、まだ一時間あるぞ。其一時間が經つて行く、まだ一分あるぞなどと噫徒目だ。然し、せめてもう一遍は戻つて來さうなものだのに。いや前にも言つた、さうはいかぬ。えい、思切の惡い。命にこれ從ふのさ。
 二度と同じ流を渡ることは無いと希臘の哲人は言置かれた。或者はこれを以て悲哀の源とするだらうか、他の者は却つてこゝに希望の一理由を發見する。追憶が主として悲しい事ばかりである人々は、さうと聞いて安心することだらう。またと同じ事を見ずに了へるから宜いでは無いか。涙は流れ、笑は溢れ、生の同じ律に上つて、底知れぬ淵穴へ共々落込んで了ふのである。
 一として再び…

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