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醤油仏
しょうゆぼとけ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「治郎吉格子 名作短編集(一)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年9月11日
初出「改造」1928(昭和3)年5月号
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-03-18 / 2014-09-16
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 五月雨は人を殺す? ……
 人入れ渡世の銅鑼屋の亀さんの部屋にいる、日傭取の人足達も、七人が七人とも雨で、十日も仕事にあぶれて、みんな婆羅門の行者みたいに目を凹ましていた。
 左次郎は隅っこに寝ていた。
 うすい蒲団へ柏餅にくるまって、気の小さい目をしながら、みんなの馬鹿話を聞いていると、何時までも飽きない気がする。
 話というと、この部屋では、色気と食い気よりほかになく、就中、十日も仕事がなくなっている時は、食い気の方の話に花が咲いて、勘、竹、由、丑、六、三公、みんな胃袋そのもののような顔をして、
「馬鹿ア言ってやがら、化物じゃあるめえし、一人で蕎麦切三十ぱいに笹屋の鯖ずしを四十五なんて、食える理窟があるもんか」
「いや、食おうと思や、食えるさ」
「命がけだって食えねえ」
「なに食える」
「食えねえ」
 と、食い意地の張った話から、果ては、賭食いのことで唾を飛ばし合っている様子だった。
 すると、三公が言い出した。
「おれの国にゃ、蜜柑を一箱、食えるか、食えるもんかで、賭をした奴があったっけ」
「蜜柑の一箱ぐらいなら、おれだって、今すぐ此処で食って見せる」
「皮も箱も縄も、きれいに食ってしまうんだぜ」
「そ、そいつあ、無茶だ、賭にならねえ」
「ところが、食うと言って勝った奴があるから妙だろう。その代り条件があった、どうして食ってもいいという条件があったんだ」
「へえ、でも、食ってしまったのかい」
「蜜柑の実を食う前に、皮と縄と箱を焼いて、灰を団子にしてペロリとやってしまった。食われた方の奴は、五両賭をしたんで、世帯をつぶしてしまやがッた」
 三公の話が終ると、丑が待っていたように口を尖らして、
「――だもの、この番附だって、嘘とは言えねえぜ」と威張りだした。
 仲間外れになって寝ていた左次郎は、何かと思って、亀首を擡げてみると、丑がみんなの前に皺をのばして見せつけているのは、乾物袋になっていた番附の切れっ端「御世泰平鼓腹御免、大江戸大食番附」
 という反古だった。



 近年、柳橋の万八や中洲の芝清などで、賭食いではないが、大食競べの催しが度々あった。
 一方では黒船を打払え、佐幕がどうの、勤王方が旗上げするのと、騒いでいるから、御禁制の布令が出ても出ても、岡場所に隠し売女は減らないし、富興行は密かに流行るし、万年青狂いはふえるし、強請や詐欺は横行するし、猥画淫本は相変らず秘密に版行されて盛んに売れるという世の中。
 そんな江戸の時世でいながら、銅鑼亀さんの部屋にいる日傭取などは、食う話ばかりしていて箪食壺漿にたんのうしたことなどは夢にもない。
 だから番附に勘亭で刷ってある「御世泰平鼓腹御免」なんていう文字をみると、躍起になって、癪にさわってこんな番附が当てになるもんけえ――と言いたくなる。
 だが、奇矯人の大食会が流行の因をなして、この手輩…

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