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凍るアラベスク
こおるアラベスク
作品ID52467
著者妹尾 アキ夫
文字遣い新字新仮名
底本 「「新青年」傑作選 幻の探偵雑誌10」 光文社文庫、光文社
2002(平成14)年2月20日
初出「新青年」博文館、1928(昭和3)年1月
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2013-01-01 / 2014-09-16
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 風の寒い黄昏だった。勝子は有楽町駅の高い石段を降りると、三十近い職業婦人の落着いた足どりで、自動車の込合った中を通り抜けて、銀座の方へ急いだ。
 勝子は東京郊外に住んではいても、銀座へは一年に一度か二度しか来なかった。郊外の下宿から、毎日体操教師として近くの小さい女学校に通うほかには、滅多に外に出たことがなかった。
 やや茶色がかった皮膚には健康らしい艶があって、体全体の格好がよくて背の高い彼女は、誰が見てもどちらかと云えば美人に違いなかったが、それでもまだ家庭と云うことを考えたことはなかった。それには別に変った理由があるわけではない。ただ彼女は結婚と云うものを、そんなに楽しいものと思わないまでである。世の中の大部分の人は、みないいかげんな結婚をして、とにかく表面だけは楽しげに見えても、立入ってみればそれぞれ不幸を抱いている。それより冷徹した冬の大空を昇る月のように――この月に自分を例える時には彼女はいつも涙ぐましいほど浄化された気持になれた――自由に純潔でありたいと思った。彼女は淋しいのが好きだった。それに彼女には仕事と云うものがある。彼女は満身の愛を生徒たちに捧げた。また実際それらの生徒たちは、愛さずにいられぬほど可愛らしかった。小さい学校が彼女の世界の総てであった。毎日の生徒の世話、運動会、試験、校友会、遠足、父兄会、対校競技、修学旅行、講習、それに自分自身の修養、女教師の生活もなかなか忙しいのである。だから散歩がてらに銀座へ買物に来るようなことは彼女にとって珍らしい出来事だった。
 勝子は数寄屋橋を渡ると、五六台続いて横切る自動車を立止って待って、それから電車道を通り抜けて、滑らかな人道の上を静に銀座の方へ歩き始めた。
 すると向うから、黒い外套に灰色の絹の襟巻をした一人の紳士が来て、じろじろ彼女を見ながら通りすぎたのであるが、その男の細長い顔は血の気がなくて紙のように白く、濃い眉の下の鋭い眼には気味悪いほどの光があって、美しいと云うよりはむしろストライキングなその顔立から、彼女は瞬間ではあったが妙な印象を受けたのであった。
 まだ明るいのに華やかな銀座の店々には電燈がついて、そぞろ歩く人々の顔も何となく晴やかであった。
 勝子は暖い百貨店へ入ると、誰でもするように暫らく物珍らしげに当てどもなく歩きまわり、やっと毛糸ばかり並べた場所を見つけると、そこでフライシャーの白いのを一ポンド半買って、いつも大切な買物をする時に必ず持って来る紫色のメリンスの風呂敷を出して包んで、目的を果したものの微かな満足を感じながら昇降機の方へ行った。
 そして下りの昇降機を待つ間、そこにあった大きな姿見の前に立って、暖かそうな駱駝色のコートと、同じ色の緑色の頸巻にくるまった自分の姿を映して、光線のぐあいか髪の恰好やからだったが、いつもより美しく見えるのに軽い誇りを感…

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