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川蒸気は昔のまゝ
かわじょうきはむかしのまま
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第三巻」 筑摩書房
2002(平成14)年5月20日
初出「婦人サロン 第二巻第五号(五月号)」文藝春秋社、1930(昭和5)年5月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-09-01 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 さあ、これから宿へ帰つて「東京見物記」といふ記事を書くのだ――おいおい、タキシイを呼び止めて呉れ、何方側だ? 何方側だ? 俺には見当がつかぬ――などゝ僕は同伴の妻に云ひ寄るのであつたが、妻君は、前の晩に友達と別れてから、夫と手を携へて怖る/\訪れた赤坂辺のダンスホールを訪れたところが、そこで、案外にも平気で踊ることが出来たので、自信を得てしまつて、やつぱり村の野天やアバラ屋で古風な蓄音機に合せて村の友達連と踊るよりは此方の方が遥かに好もしい。また今宵は別のホールへ赴いて見よう、新しい踊りを覚へて村の友達連に披露してやりたい――と云ひ張つて、二人はスキヤ橋の袂にたゞずんでしまつた。……朝日新聞社の屋上で五彩の煙りを吐いてゐる回転灯を眺めながら僕は、この五六日来の猛烈に慌しい見物行を考へてゐる――では、御身は、これから弟のタミを呼んで、姉弟仲睦まじく手を携へて踊りに酔ふて来るが好からう、余は麹町の宿へ赴いて御身等の帰来までに、この稿を仕上げ得られゝば幸ひだから、斯く花やかに目眩しい都に出たあかつきは、万事を、この腕の時計に従つて全速力に所置しなければなるまいから――と愉快な忠告を与へて、左右に別れる。十二時までにお帰りよ、さあ、この時計を御身へ――と僕は、自身の武骨な時計を脱して妻の腕首にしつかり巻きつけ、夜半再び相まみへるまでの無事を祈る! といふほどの慎ましやかさをもつて、もう走り出さうとした彼女の車に向つて、手を振つてゐると、突然僕の耳もとをかすめて、
「チエツ!」といふ舌打ち――と、
「同情するよ。」そんな声と、そして、
「甘え野郎だなア!」
 といふ感嘆とも嘲笑ともつかぬ声が飛んだのに気づき、僕は、仰天のあまり肩をすぼませた。にわかに顔がカーと熱くなり凝つとしてゐられなくなつたので、前後の弁へもなく一つのタキシイに飛び乗つてしまつたのである。
「どちらまで?」
「……真直ぐ行つて下さい。」
 タキシイは、歌舞伎座の前を走つてゐる。――やあ、あべこべの方角へ走つてしまつた。やあ、此方へ行くのではなかつた、僕は麹町へ行く筈だつたんだ間違へた/\! などゝ今更云つたら、定めし笑はれることだらう、お祭り見物に来た田舎者だな?
「厭だな……そんなに思はれるのも――。癪に触る。」……。
「今の、歌舞伎座でせう?」
 と僕は訊ねた。
「えゝ、さうです。これつ有名な歌舞伎座です、今月の狂言は梅幸、羽左衛門、中車……」
 運転手が説明する。(厭だな……そんなに思はれるのは!)とたつた今懸念したことがどうやら実現してしまつたらしい。
(えゝ、面倒だ、いつそ、あざやかなオノボリさんになつてやれ。)余程車を止めて、口でもあけて看板を打ち眺めてやらうかと思つたが、それもあんまり空々しいので、
「他の劇場の前も通つて呉れ給へ。」
 と云つた。――実は、上京以来、僕たちは、或る友…

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