えあ草紙・青空図書館 - 作品カード


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「尾花」を読みて
「おばな」をよみて
副題(久保田万太郎・作)
(くぼたまんたろう・さく)
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第五巻」 筑摩書房
2002(平成14)年7月20日
初出「三田文學 第九巻第一号(一月号)」三田文學会、1934(昭和9)年1月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-10-04 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 途中で考へるから、ともかく銀座の方へ向つて走つて呉れたまへ――僕は、いつにもそんなことはないのだが、たつたひとりで寂しさうに外へ出ると、車に乗つて、そんな風に呟いた。外套の襟に顔を埋めて、うまいものだなあ――と吐息を衝くのであつた。あの人の作品が、年を重ねる度に、一作は一作毎に深い艶を含んで、歴起として来るおもむきなんていふものは、容易に他人の眼にはつき憎い繊細なものとされ、何うかすると、あの人の作品は昔から変りもなく、既にして完成された左ういふものだなどゝ云はれたりするがそれも結構、左う見られるだけだつて結構至極、ゆらゆらと流るゝ隅田川の風情が、うつりゆく四季の眺めをうつして千万無量の飽かれざる景色に相違ないのだが、傑れたる芸術家の進路なんてものが何うして、たゞ流れる水の如く淡々として、たゞ自然のまゝである気づかひが在り得る筈のものではなく、また、在りたしと希つたところで在り得べきものではないのだ。ずつと/\はぢめの頃に溯つて、あれもこれも、あれからこれと、ふら/\と追ひかけて――まつたその頃は、たとへば僕など、文科の学生でありながら文学々生ではなく、小説家といふものは何ういふものか、西洋にも日本にも現在何んな小説家がゐるのやらも知らぬといふ飛んでもないたゞの、つまり何ひとつこれといふて選科を知らぬまるつきり漠然たる阿呆学生だつた、永代橋のちかくにあつたおぢさんの家に居て、学校へは行くと云ひながら、成るべく学校へは行かずに、ポツポツといふ蒸気船が未だ仲々威勢好く見えたりして、おつとりとこれに乗つかつて「漫遊」に耽つてゐた頃、小説を読め/\とすゝめるのが、その家の娘で、大層な文学好きだつた。彼女はあたりに評判の、たしかに美人であつた。あれこれと雑誌やら書物を借して、読後の感を叩くのだが、僕は非常な読書嫌ひであつた。口をあいて活動やどんちよう芝居を覯てゐる方が、何うも僕には、つまり端的で、おもしろかつたのだが、彼女の美しさを可成りに僕も認めてゐたゝめに、その不気嫌な顔に出遇ふのを怕れて、どうやら雑誌などを翻すようになつたのだ。万太郎の小説を追ひかけはぢめたのはその頃である。余程古い読者に違ひあるまい。彼の小説は、仲々次のものが現はれなかつた。漸く雑誌を手にすると、彼女は彼の小説の頁を先づ翻して、チエツ、また短けえのか、いやなやつ――と憤つた。また彼女は、彼の小説に与へられた批評文などまで漁つて、斯んな理屈をつけてやつつけてゐやがらとか、特殊な世界だつて! 違ふさ、何も六ヶしい字が書いてあるわけのものではなし、読んだら誰だつて面白さうなものなのに不思議だねえ! などゝ首を傾げた。「あんた見たいな人にだつて、そんなにおもしろく読めるといふのにね!」などゝ呟いた。
 金魚の荷嵐のなかにおろしけり。
 文字は或ひは間違つてゐるかも知れぬが、彼の発句に、左様なのが在る…

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