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闘戦勝仏
とうせんしょうぶつ
作品ID52893
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第一巻」 筑摩書房
2002(平成14)年8月20日
初出「十三人 第二巻第十号(十月号 創刊壱週年記念号)」十三人社、1920(大正9)年10月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-07-04 / 2014-09-16
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 玄奘三蔵法師が或日、孫悟空に向つて、
「汝の勇と智は天上天下に許されてゐる、天の魔も地の鬼も、汝の黒一毛にも及ばない。かゝる大智大勇と非凡な妖術とを有しながら、何故天下を領せんとせず、仏門に帰つて、それも余が如き力量もなく妖術も弁へぬ小法師に従うてゐるのか、その理由がきゝ度いのだ。」と問うた。すると悟空は立処に、
「勇や智は如何程あらうとも、それはこの身が存命の間だけに限られたもので御座いませう。悟空の身が滅びた時には、天地を破る此如意棒も棄てられた縫針にならねばなりません――。
 のみならず悟空の智はもとより猿の智で御座います。」と悲しさうに答へた。
「ならば、汝は天地に説いて万世に遺さうと望むのか。」
「どういたしまして。
 私は卑しい猿で御座います。決して説く力は持ちません。」
「説く力量の無いことを自分でよく承知してゐるのか。」
「はい、よく承知いたして居ります。」
「ハッ……ッ。」玄奘は突如、呵々と打ち笑つた。
「祖師様!」と、こゝで悟空は、今迄の調子は諄々としてたゞ己が持つてゐる「あきらめ」を苦もなく答へてゐるのであつたが、悲痛な声に一変して、(こんなくだらない事は他人に取つては、まるで取るに足りない愚なことで、自分もそれはよく知つてゐるのだから、と思ふ度毎に同時に打ち消してはゐたのだつたが、この瞬間にはその臆病な愚かな理性を忘れてしまつて……)「祖師様」と叫んだ。「何をお笑ひになりますか。悟空は勇あつて説く術を知らざるを真心から悲しんでお訴へ申してゐるのではありませんか。」――。
 悟空は涙を流してゐた、が、ふと、恥入るやうな体で、而も玄奘の顔を凝と瞶めながら、「それとも、この猿奴の悲しむ顔付が可笑しうてお笑ひになるので御座いますか。」と息を殺して玄奘の顔を見上げてゐる……。
「何で汝の顔などを笑ふものか。」と玄奘が答へると、
 ……悟空の悲嘆の色は、みるまに消えて、
「それでは何の為に。」と追求はしたが、今の愚問を冷静に玄奘が聞いてゐる事と、同時に己の顔の醜さを笑はれたのではないと云ふ事が解かつたので、もう先の問答など、どうでもいゝやうな気がした程安心し落着いて了つた。(が、安心し乍らも、何とまあ俺は他合もない奴なのだらうかな、と思つてゐた。)
「汝の云ふ事が余りに矛盾してゐるから可笑しうなつたのだ。説くことを求めぬ者が、何も非凡な妖術を押へて他人の許に従うてゐる用はないではないか。汝の妖術が汝一代で滅するといふことを知つてゐるならば、思ふが儘に暴れ廻つて悪魔共を征服し、悟空の王国を建てるは容易なことではないか。」
「若し私が猿でなかつたら必ず王になつてお目にかけますが。」
「然し汝よりも数等醜い妖魔共が到る処に王となつて、縦な快楽に耽つてゐるではないか。」
「それは私もよく存じて居ります。然し私が思ひますには、悪魔共がいくら王座にを…

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