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砂浜
すなはま
作品ID52906
著者牧野 信一
文字遣い新字旧仮名
底本 「牧野信一全集第一巻」 筑摩書房
2002(平成14)年8月20日
初出「十三人 第三巻第十一号(十二月号、終刊号)」十三人社、1921(大正10)年12月1日
入力者宮元淳一
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-07-04 / 2014-09-16
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 羽根蒲団の上に寝ころんでゐるやうだ――などと私は思つたくらゐでした。紫色をした大島が私の網膜に「黒船」か何かのやうに漂うて映りました。――午頃まで、このまゝ眠つてやらうかしら……などとも私は思つたりしました。
 春先で、思ひきり好く晴れた朝の海辺なのです。――もう、かれこれ二時間も前から私は、渚の暖い砂の上で退屈な、然し極めて快い愚考に自ら酔つたまゝ、思ふさま胸を拡げて大の字なりにふんぞりかへつてゐるのです。その私の肉体は単に空ろな、たゞ一寸軽い頭の爽々しさだけを自分だけで意識してゐる一個の物体に過ぎません。
 漁の舟はすつかり出払つて了つて、浜のいちばん静かな刻限です。はるか向うで背中を丸くした老人が網を繕つてゐました。そのうしろで小さな赤犬が一匹何か切りにはしやいでゐるのが見えました。
「独りで凝とこの儘かうしてゐたい。」
 私はさう思ふと、ふと、かうして凝としてゐるのがイヤになりました。何だか殊更に閑寂を悦ぶ、といふ風なキザさ加減が可笑しくなつたのです。然しそれも亦私の愚かな虚栄心です。何故なら、全く私の意識はかうしてゐることの方にはるかに満足を感じて居りました。……結局、私は自分勝手にテレて、妙な気恥しさを感じたもので、独りで妙な薄笑ひを口もとに浮べながら、むつくりと砂を払つて立ち上りました。さうして老人の居る方へ歩いて行きました。
「大分精が出るね。」
 知つてゐる漁師の年寄だつたので、私はさう呼びかけました。
「純造さんかえ、いつお帰んなすつたよう?」
 年寄は年寄らしい親しみ深い眼を挙げて私を見上げました。年寄の嬌態は、私の好きな井上正夫に私が見るやうな、堅苦しい鷹揚な懐しみを覚えさせました。私は、老人の傍へ話しに来てよかつた、と思ひました。さうして、(幾日だつたかしら?)と刻明にもその日を数へようとしてゐましたが、一寸何日に帰つて来たかが思ひ出せませんでした。何でも五六日前なのです。
「もう学校はお休みなんけえ?」
 私がまだ前の質問に答へられないでゐるうちに年寄はまた問ひを発しました。
「あゝ。」
 私は、日を数へることを止めて、煙草に火をつけながら年寄の傍に趺坐をかくと、沖を眺めました。さうして、
「いゝ凪だね。」と云ひました。
「いゝ凪だ。この分ぢや……」と云ひかけた年寄は、膝の上の網をそつちへおしのけて煙草入れを取りました。私は、その次に続くべき年寄の言葉を待つてゐました。年寄は、恰も自分の所有するものでも見るかのやうな慣れた眼付で海を眺め渡して居ります。
「いつお帰んなすつたのさ。」と年寄は云ひました。――まだそのことが年寄の頭に残つてゐたのか? それとも他に一寸云ふべき言葉がなくて云つたのか? と私は思ひました。私は、自惚れて、その第一の方をとつて年寄に大変好意を感じました。
「四五日前に――」
「まだ花は咲いてゐませんでしたか…

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