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手紙
てがみ
作品ID52951
副題一八九三年七月二二日付 チェンバレン 宛
せんはっぴゃくきゅうじゅうさんねんしちがつにじゅうににちづけ チェンバレン あて
著者小泉 八雲
翻訳者林田 清明
文字遣い新字新仮名
入力者林田清明
校正者林田清明
公開 / 更新2011-04-03 / 2019-03-02
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

拝啓

 先に長崎からお手紙を差し上げると申しておりましたが、それはかなわない事になりました。というのは、実際、私は長崎から逃げ帰って来たからです―― 何があったか、そのいくつかをお話しします。
 七月二〇日の早朝、私は、一人、熊本を出発し、百貫経由で長崎へ向かうつもりでした。熊本から百貫までは人力車で一時間半あまりの距離でした。百貫は水田の中の、くすんだ小さな村です。土地の人たちは淳朴で善良です。そこで、漢文を勉強している生徒の一人に会いました。そこからは、小舟で蒸気船に向かいます。この舟の舳先は壊れていました。コールリッジの詩にあるような静かな海をゆらりゆらりと四里ばかり進んで行きました。それは退屈でした。そして、停泊して一時間以上も待たされましたが、海面をじっと見ていると、さざ波が繰り返し/\押し寄せて来るので、まるで反対方向に引っ張られて動いているような、奇妙な錯覚を覚えました。他には見るものとてありません。ついに、私は、はるか水平線上にコンマを逆さまにしたような船影を見つけました。それが近づいて来ます。ついに、ボーッという汽笛を聞いたときは、嬉しくなりました。けれどそれは別の船でした。先の小舟に乗ったまま、さらに一時間も待たされたあげく、やっと目当ての船が現れたのです。
 私は、隠岐の蒸気船を除けば、そんな拷問のような道具には不案内です。私が乗った船の名は太湖丸ですが、着物や浴衣の客が座り込むようになっていて、椅子はありませんでした。船室の暑さときたら、蒸気を使う洗濯屋の乾燥室のようでした。お茶の外には飲み物はありません。象の頭を持った唐獅子の面白い絵の付いた薄い牛革の枕と快適な畳の上で横になりました。私が背広じゃなくて、和服だったらもっと快適だったと思います。けれど、ヨーロッパ式のホテルに行くというので、服装の決まりに従って、私は洋服だったのです。―― これは、あとで、とても後悔することになりました。
 長崎にはまだ暗い午前三時に着きました。苦力がホテルまで連れて行ってくれる約束でしたが、一・六キロばかり行ったところで、どこか分からないというので、手荷物を受け取りました。まだ営業していた車屋に出会いましたので、ホテルまで連れて行ってもらいました。けれど、ホテルの門はもう閉まっていました。背中を門塀にもたれかかったところ、それが開きましたので、低い植込みの列と観葉植物が植えられた鉢の列との間の階段を上り、ホテルのベランダまで行きました。そこには、揺り椅子とランプそれに静寂がありましたので、ここで夜が開けるのを待つことにしました。長崎湾の日の出は本当に美しいものでした。―― 私は古いバラッド詩に謳われているような金色の光線を見たのです。ついにホテルも起き出しましたので、私はやっと部屋に入ることができました。
 けれど、ホテルの中はひどい暑さでした。私…

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