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「鱧の皮 他五篇」解説
「はものかわ ほかごへん」かいせつ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鱧の皮 他五篇」 岩波文庫、岩波書店
1952(昭和27)年11月5日
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-01-04 / 2014-09-16
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 上司小劍は、明治七年十二月十五日に生まれ、昭和二十二年九月二日に死んだ、かぞへ年七十四歳であつた。
 小劍は、親友の、徳田秋聲より三つ下であり、正宗白鳥より五つ上であつた。
 小劍は奈良の生まれであり、小劍の父は攝津の多田神社の神主であつた。その父の名は延美といひ、その子の小劍の本名は延貴といふ。(それで、小劍の初期の作品のなかに神社と神主を題材にした小説が多いのである。)

 小劍の處女作は、明治四十一年の八月に「新小説」に發表した『神主』である。明治四十一年といへば小劍の三十五歳の年であるから、それからずつと小説を書きつづけてゐれば、小劍は、もつとちやんとした作家になつてゐたかもしれない。
 ところが、小劍は、その處女作を發表した年の十年ぐらゐ前から、讀賣新聞社にはひつて、社會部につとめながら、論説を擔當し、しかも、その論説は當時かなり好評を博してゐたので、そんな事でも氣をよくして、その十年ぐらゐの間、新聞記者を本職として、一所懸命に、つとめてゐたのであらう。それで、その間の小劍には、小説は、文字どほり、餘技であり、小遣ひ取りであつたかもしれない。
 されば、小劍は、わりに評判のよかつた處女作を發表してからも、たいていの新作家のやうに、調子に乘るやうな樣子はほとんどなかつたけれど、それでも、矢つぎ早に小説を書いた。が、それらの小説は、特徴のやうなものはあつたけれど、氣の拔けたところがあるやうな作品ばかりであつた。そのかはり、小劍は、新聞記者としてはよく働いたらしく、明治四十三年には、文藝部長兼社會部長となり、大正四年には、編輯局長兼文藝部長兼婦人部長になつた。
 その年(つまり、大正四年)の初夏、大學を出ると、すぐ、讀賣新聞社にはひつた。青野季吉が、ずつと後に、その時分の事を囘想して、「その前年『鱧の皮』で世評をかち得、さらに『父の婚禮』に集められた短篇集を發表し、長篇『お光壯吉』を世に問うてゐた小劍は、私の目には仰ぎ見たいやうな歴とした作家であつた。また文壇的にもほぼそれに近い存在となつてゐた。仕事の上役としての小劍は、ほとんど下役との接觸を避けるやうな、一種の遊離性を意識して保たうとしてゐたやうに見えた。今の私には、その氣持ちがかなりはつきり理解できるが、當時は、それを怜悧な保身術と解し、京阪の人間としての本性と結びつけて考へない譯にいかなかつた。さういふ小劍は、過去を語ることをひどく避けてゐたが、ただ一度、私に、半ば獨語的にかう云つたのを覺えてゐる。『相手の拔き身を素手で受けるぐらゐ、馬鹿な眞似はありませんからねえ。』おそらくこの言葉ぐらゐ、小劍を理解する上に、暗示にとんだ言葉はないと思ふ。小劍は、あらゆる意味において、『素手』でなかつた作家である」、と述べてゐる。
 この青野の説は、小劍の、全面はあらはしてゐないが、半面ぐらゐは傳へてゐる。
 …

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