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九谷焼
くたにやき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年9月16日
初出「理学部会誌」1924(大正13)年11月21日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-02-08 / 2014-09-16
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 震災で失ったものの中で、この頃になって、惜しいと思い出したものは九谷焼である。父が心懸けて集めたもので、古い時代のいわゆる古九谷と呼ばれている高価な品ではないのだが、現今大量生産でどんどん造り出している今の九谷焼と、古い時代の「真正の九谷焼」との連絡を見るために、丁度都合のよい標本であったことと、自分には父を偲ぶよすがとなる品であったので、時がたつにつれてしみじみ惜しくなって来る。
 加賀の人でも、この頃では余り知っている人が少い位だから、東京の人などには、「真正の九谷焼」は余り知られていないようだ。一皿数千円もするというような骨董としての九谷と、夜店で売っている九谷とが、今の東京の人に知られているので、丁度その連絡をなし、現今なお古い神聖な九谷焼を護っている少数の人々のことは殆ど知られていない。
 沿革などというと如何にも骨董家めくので、極簡単に書くと、日本で芸術品としての陶器が出来出した頃、伊万里焼を倣って後藤才次郎という人が、九谷村で適当な粘土を得て造り出したのが九谷焼の起りで、前田家治卿がパトロンとなってあれだけに発達したものなのである。その頃は、今のように焦燥の生活をしなくてもよかったので、数代も名工の後裔が、殿様の庇護の下で研究を続けて、一つのかまを完成したのである。
 九州の話だが、柿右衛門という人などは、熟柿が枝に下っているのを見て、その色を出そうとして、生涯を費して出来ず、その子がこれをついで半ば完成し、三代目に至って漸く出来上ったという話がある位である。今の骨董家が、初代の柿右衛門などといって愛蔵しているが、よく考えて見ると、三代目柿右衛門が認められるまで、貧しい陶器工の家だったはずだが、祖父の試験的出来上り品を、今残っているほど多く、三代の間蔵ってあったかどうか随分変な話である。売ってしまったとすると、貧しい無名の陶工のつまらぬ器物が、五十年間も破損せずに使用されていて、三代目柿右衛門の出て後、これは初代だといって急に珍重されることになる。
        ○
 初めて事をなす人の苦心が、九谷焼の場合にもよくあらわれている。九谷という村は、加賀の山中という温泉から、六、七里ばかりも渓流に沿って上った所にある山間の僻地で、今でもよほどの物好でないと行けぬ位の山奥である。今は一村五十戸位の小さい村で、炭焼を生活として、九谷焼とは何の関係もなく、訪れる人とても、毎夏数人の登山者が過ぎる位の程度であろう。徳川初期の時代に、こんな処へ来て初めて、求める粘土を見出した人の隠れた努力には、しみじみ感ぜさせられる。近年この村が殆ど全焼したことがある。その時東京の新聞などでは、九谷焼の窯元が全滅した、当分九谷焼を産出することは出来ぬだろうなどと書いていた。
 この渓流の下流の所に、山代という温泉と大聖寺という人口一万ばかりの町がある。この二つが古い九谷…

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