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単純な詩形を思う
たんじゅんなしけいをおもう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「定本小川未明童話全集 3」 講談社
1977(昭和52)年1月10日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者江村秀之
公開 / 更新2014-03-02 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 極めて単調子な、意味のシンプルな子守唄が私の心を魅し去ってしまう。そして、それをいつまで聞いていても、私は、この子守唄を聞くことに飽きない。しかも、それを歌っているものが、無智の田舎娘であるなら、なおさら好い。
 青い海のような空に、月が出て、里川縁の柳の木の枝についている細かな葉が、風に戦いで、うす闇の間から、蝙蝠が飛び出て来る。まだ西の黒い森に、紅い夕日が沈んでから間もない時分に、もはや微かに星の光が見え初める。こんな時に、私は、よく、この子守唄を聞かされたものだ。もう、私は、その歌を覚えていない。その節も忘れてしまった。
 私は、このような子守唄を、幾年の後、しかも賑やかな都の中で聞くなどとは思わなかった。然るに、たまたま、この子守唄を聞くと、不思議にも、幼児の時分に帰ったような、まだ、その赤い夕日を見て鬼事をして遊んでいたのは昨日のことのような、純な、気持ちになってしまう。少なくも、今日の、この生活に苦しみ、あらゆる煩悩のために身は捕虜となって悶えている私の心を、兎に角、遠い、懐かしい、昔の北の故郷に帰らせてしまう。私はこの不思議な子守唄の魔力に驚かせられざるを得ない。
 そして、この子守唄は、たとえ都の少女が歌っていても、さまで不調和とは思わない。そればかりでなく、電車の響きが聞こえて来たとて、それらのものは、この唄のイリュージョンを決して破るだけの力がない。
 かくまで、この子守唄が、瞑想に耽らせるとしたら、その子守唄には、最も力強い芸術的の魔力があることを否む訳にはゆかない。私には、これは、まさしく人間の原始的感情を極めて単純な詩形に歌ったものは、子守唄であるからだと思われる。また、最も自然的に歌われたものは民謡であるからだと思われる。単にこれらは、いつまでも変わりない人情を、何の特別の技巧も施さずに感情のままに歌ったものである。
 これらは、単に詩形に於いて、既に原始的であるばかりでなく、その声調に於いても、長い間の歴史を持っている。吾等の祖先及びその時代の人が、曾て子供を寝かし付ける時に、こういう自然の声調をなした。また、森に於いて、野に於いて、圃に於いて耕したり、蒔いたり、刈ったりしている時にこういうような自然な節で歌って、そして、次の時代にも、この自然の人情から流れ出た歌の声調は受け継がれている。そして、また、その次の時代にも、また、その声調は受け継がれて来た。極めて、この自然な、原始的な思想や、その声調は、何等の技巧を要せずに人間の心情に触れるものがあった。
 しかしこれらは、その始め森の中に産まれた唄である。野や、谷に産まれた歌であることを忘れてはならない。私は、こう思うて来ると、都会に産まれた子守唄や俗謡がなくてはならないと考える。私は、これを広重の絵画に認めた。しかし、この単調な、意味の極めてシンプルな芸術は決して、今の物質文…

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