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日本精神について
にほんせいしんについて
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「津田左右吉歴史論集」 岩波書店
2006(平成18)年8月17日
初出「思想(特輯 日本精神) 一四四」1934(昭和9)年5月
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2017-11-25 / 2017-10-25
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「日本精神」という語が何時から世に現われたのか、確かには知らぬが、それがひどく流行したのは最近のことのようであり、いわゆる「非常時」の声に伴って急激に弘まったものらしく思われる。断えず高い調子で叫ばれ、何となく物々しいところがあるのみならず、いいようにより聞きようによっては一種の重苦しい抑圧的のひびきさえも感ぜられるのは、この故であろう。平安朝の昔にいわれた「やまとごころ」または「やまとだましい」は別としても、徳川時代の国学者の歌った「しきしまのやまとごころ」には勿論のこと、明治二十年代に唱えられた「国粋」にも、その後いろいろの形で時々に現われた「日本主義」の語にも、これはなかったことである。語気の強い点では、幕末のいわゆる志士がともすれば口にした場合の「大和魂」に幾らかの似よりがあるが、それはもとより一定の意図を有っての宣伝なり運動なりではなかった。しかし、この語が、かかる状態で世に喧伝せられているに拘わらず、それが何を指しているかは、実は明かに示されていないといってもよい。人々は各々その好むところに従って任意にこの語を用いているようであり、従ってその間には往々齟齬し矛盾するところさえもありげに見える。あるいは初めに唱え出された時の意義と、後になって広く用いられるようになった場合のとの間に、いくらかの変化があったかも知れぬ。これは流行語には通有な状態でもあるが、特にこの語について考えると、それには種々の理由があろう。それを知るには、この語の唱え出されたのがどの方面からであるか、その動機がどこにあったか、如何にこの語が世に迎えられ、如何なる状態で世にひろがったか、ということを考えてみなければならず、それはまた今日の思想界の一側面を明かにするにも必要なことであるが、余はここでそれを試みようとするのではない。ただこの語がかなり多義に用いられていることを一応指摘するまでである。なおこれについては種々の興味ある問題が提起し得られるので、「やまとごころ」とか「大和魂」とかいう語があるのに、何故にことさらに「日本精神」というような語が作られたのか、日本の精神という意味を表現するのに、日本語でなくして漢語を用いたことに如何なる理由があったのか、というようなこともその一つである。偶然のことかも知れないが、偶然そうなったのは、どこかにそうなるべき理由があったに違いないから、それが問題になる。あるいはまた、上に述べた国粋主義日本主義などの主張乃至宣伝とどこに違いがあるのか、何故にそういう違いが生じたのか、ということも考えてみるべきであろうし、この語の主唱者及びそれぞれの方面の宣伝者追従者の心理を観察することも一つのしごとであろう。が、根本的には、もっと広汎な問題がその底に横わっている。日本精神という語の作られたのは、一般に一つの民族もしくは国民にはその民族精神もしくは国民精神が…

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