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歴史の矛盾性
れきしのむじゅんせい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「津田左右吉歴史論集」 岩波書店
2006(平成18)年8月17日
初出「史苑 二ノ一」1929(昭和4)年4月
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2017-04-26 / 2017-03-11
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 歴史の領域は過去にある。これは何人にも異論のないことであろう。しかし、過去は過去として初から固定しているものではなく、断えず未来に向って推移してゆく現在の一線を越えることによって、未来が断えず過去に化し去るのである。これもまた明白なことである。ただ歴史の取扱う過去は、単なる時間としての過去ではなくして、過去となった人の生活である。ところが、生活は未来に向って進んでゆくのがその本質である。断えず未来を領略してゆき、未来に向って自己を開展してゆくのが生活である。だから、歴史は未来に向って進んでゆくものを過去としてながめねばならぬ。未来に向って進んでゆく生活が過去となった時、いいかえると生活が生活でなくなった時、はじめてそれが歴史の領域に入るのである。けれども、歴史の取扱うものは生活でなければならぬ。だから、そこに矛盾がある。問題はこの矛盾から生ずる。
 歴史の第一の任務は、過去の生活を生活として叙述し描写することであると、余は考える。生活は刹那の間も静止することのない不断の動きであり進展であるから、生活を生活として叙述し描写するということは、その動きその進展の過程を過程として叙述し描写するということである。過去となった生活の過程を、その過去の時間において未来に向って進んでゆきつつある生活の過程として、意識の上に現前させるのが、この意味においての歴史の任務である。この場合において、歴史家はその生活の過程の中に身を置き、その生活の進展と共に未来に向って歩いてゆかねばならぬ。この未来は現実においては既に過去となっている。従ってそれは既知の世界である。しかし、過去の生活の過程の中に身を置く歴史家にとっては、それはどこまでも未来とせられ、従って未知の世界とせられねばならぬ。が、これは果して可能であろうか。
 人の生活は、未来の予見せられないのがその本色である。もしそれが盲目的な生活である場合には、未来の生活が如何なる姿を現ずるかは初から問うところでないかも知れぬ。何らかの目標が前途に置かれ、それに向って進もうとする場合においても、いかなる道程がそこに開展せられて来るか、その志向するところに果して到達し得るかどうかは、予め知ることができぬ。どうしようという、もしくはどうなってほしいという、欲求なり志向なりがあるのみであって、事実それがどうなってゆくかは、わからぬ。過去の経験から得た知識によって、極めて漠然たる或る傾向を予想することは、なし得られないでもなかろう。が、具体的には明日のことをも予見し得られないのが、事実である。そうして、その欲求といい志向というのも、刻々に進展してゆく生活の過程そのものにおいて、またそれによって、そのうちから、生じたものであり、従ってまた、その進展によって断えず変化してゆくものである。そういう過程の最も単純な場合を考えて見ると、極めて短時間のう…

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