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放浪
ほうろう
作品ID53806
著者織田 作之助
文字遣い新字新仮名
底本 「俗臭 織田作之助[初出]作品集」 インパクト出版会
2011(平成23)年5月20日
初出「文學界 第七年第五号」文藝春秋、1940(昭和15)年5月
入力者kompass
校正者小林繁雄
公開 / 更新2013-08-06 / 2014-09-16
長さの目安約 48 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 身に覚えないとは言わさぬ、言うならば言うてみよ、大阪は二ツ井戸「まからんや」呉服店の番頭は現糞のわるい男、言うちゃわるいが人殺しであると、在所のお婆は順平にいいきかせた。
 ――「まからんや」は月に二度、疵ものやしみつきや、それから何じゃかや一杯呉服物を一反風呂敷にいれ、南海電車に乗り、岸和田で降りて二里の道あるいて六貫村へ着物売りに来ると、きまって現糞わるく雨が降って、雨男である。三年前にも来て雨を降らせた。よりによって順平のお母が産気づいて、例もは自転車に乗って来るべき産婆が雨降っているからとて傘さして高下駄はいてとぼ/\と辛気臭かった。それで手違うて順平は産れたけれど、母親はとられた。兄の文吉は月たらずゆえきつい難産であったけれど、その時ばかりは天気運が良くて……。
 聴いて順平は何とも感じなかった。そんな年でもなく、寝床にはいって癖で足の親指と隣の指をこ擦り合わせていると、きまってこむら返りして痛く、またうっとりとした。度重なる内、下腹が引きつるような痛みに驚いたが、お婆は脱腸の気だとは感付かなかった。寝いると小便をした。お婆は粗相を押えるために夜もおち/\寝ず、濡れていると敲き起し、のう順平よ、良う聴きなはれや。そして意地わるい快感で声も震え、わりゃ継子やぞ。
 泉北郡六貫村よろづや雑貨店の当主高峰康太郎はお婆の娘おむらと五年連れ添い、文吉、順平と二人の子までなしたる仲であったが、おむらが産で死ぬと、之倖いと後妻をいれた。之倖いとはひょっとすると後妻のおそでの方で、康太郎は評判の音無しい男で財産も少しはあった。兄の文吉は康太郎の姉聟の金造に養子に貰われたから良いが、弟の順平は乳飲子で可哀相だとお婆が引き取り、ミルクで育てゝいる。お婆が死ねば順平は行きどころが無いゆえ継母のいる家へ帰らねばならず、今にして寝小便を癒して置かねば所詮いじめられる。後妻には連子があり、おまけに康太郎の子供も産んで、男の子だ。
 ……お婆はひそかに康太郎を恨んでいたのであろうか。順平さえ娘の腹に宿らなんだら、まからんやが雨さえ降らせなんだらと思い、一途に年のせいではなかった言うまじきことを言い聴かせるという残酷めいた喜びに打負けるのが度重って、次第に効果はあった。継子だとはどんな味か知らぬが、順平は七つの頃から何となく情けない気持が身にしみた。お婆の素振りが変になり、みる/\しなびて、死んで、順平は父の所に戻された。
 ひがんでいるという言葉がやがて順平の身辺をとりまいた。一つ違いの義弟と二つ違いの義姉がいて、その義姉が器量よしだと子供心にも判った。義姉は母の躾がよかったのか、村の小学校で、文吉や順平の成績が芳しくないのは可哀相だと面と向って同情顔した。兄の文吉はもう十一であるから何とか言いかえしてくれるべきだのに、いつもげら/\笑っていた。眼尻というより眼全体が斜…

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