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東奥異聞
とうおういぶん
作品ID53817
著者佐々木 喜善
文字遣い新字新仮名
底本 「世界教養全集 21」 平凡社
1961(昭和36)年12月23日
初出「東奥異聞」閑話叢書、坂本書店、1926(大正15)年3月
入力者川山隆
校正者阿部哲也
公開 / 更新2014-06-26 / 2014-09-16
長さの目安約 129 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

街頭に佇てばあまりに騒がしい。
あすの日もないように、なにをあせり
なにを騒ぐのでしょう。おいでなさい。
その騒々しさからそっとのがれて
心おきなく語ろうではありませんか。
語る人の目はほがらかです
聞く人の心はなごやかです。
胸と心はおのずからとけて
春も、夏も、秋も、冬も、
静かに流れてゆくでしょう。


ふしぎな縁女の話






 生まれながらにして、人間以外のものに、すなわち妖怪変化のものの処に縁づくべき約束のもとにあり、その娘が齢ごろになると種々な形式でもってそこに嫁いでゆくというような口碑伝説がいくらもある。
 岩手県上閉伊郡釜石町、板沢某という家の娘に見目よきものがあった。この娘ある日クワの葉を摘むとて裏の山へいったまま、クワの木の下に草履を脱ぎ棄ておいてそのまま行くえ不明になった。家人は驚いて騒ぎ悲しんでいるとそこに一人の旅の行者が来かかりその訳を聞き、いわく、今は嘆くともせんかたないだろう。じつはこの娘は生まれながら水性の主の処へ嫁ぎゆくべき縁女と生まれ合わせていたので、いまはちょうどその時期がきて、これから北方三十里ばかり隔たった閉伊川の岸腹帯という所の淵の主のもとにいったのだ。しかし生命にはけっして別状あるわけではなし、かえっていまでは閉伊川一流の女王となっていることであろう。そしてこれからは年に一度ずつはきっと家人に会いに参るであろうとの話であった。
 この板沢家には氏神に大天馬という祠がある。その祭りは秋九月ごろらしいが、その前夜にはかならずその娘が家に戻ってくる。玄関には盥に水を汲み入れその傍らに草履を置くとつねにその草履は濡れ水は濁りてあったということである。後世、明日は大天馬祭りだから今夜は板沢の老婆がくるというような言伝えになったのであるが近年はどうだかわからぬ。
 この腹帯の淵についての伝説はまだまだ後にもある。この淵の付近に農家が一軒ある。あるときこの家の家族同時に三人まで急病に罹った。なかなか直らない。ところがある日どこからとなく一人の老婆がきていうには、この家には病人があるが、それは二、三日前に庭前で赤い小ヘビを殺したゆえだという。家人はそれを聞いていかにも思い当たりおり返していろいろと聞くと、その小ヘビはじつはこの前の淵の主の使者で、この家の三番娘を嫁にほしいので遣わしたのであった。どうしても三番めの娘は水で死ぬとのことであった。その話を聞いていた娘は驚愕と恐怖のあまりに病気になった。そうして医薬禁厭の効なくとうとう死んでしまった(その娘が病気になると同時に、他の三人の病人はたちまちに直った)。そういう死にようゆえに家人は娘の死体をば夜中ひそかに淵のほとりに埋め、偽の棺をもって公の葬式はした。一日ばかりたってから淵のほとりにいってみると埋めた処にはすでに娘の屍はなかった。この話は大正五年ごろの出来事である。

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