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言語と文化史
げんごとぶんかし
副題――アイヌ文化の探求にあたりて――
――アイヌぶんかのたんきゅうにあたりて――
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「和人は舟を食う」 北海道出版企画センター
2000(平成12)年6月9日
初出「北海道先史学十二講」北方書院、1949(昭和24)年11月
入力者川山隆
校正者雪森
公開 / 更新2013-07-09 / 2014-09-16
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は昨年の秋、当地に開かれた文化講座において、アイヌ民族は北方から渡来した民族であり、その渡来の経路は恐らくカムチャツカ方面から千島列島を南下して北海道へ渡り、その一分派は太平洋沿岸を南下して釧路、十勝の浜伝いにエリモの崎を越えて日高のシズナイの辺まで進み、また他の一派はオホーツク海に沿うて北上し、宗谷から一つの分派を樺太に送り、他の一分派は日本海沿岸を南下して、ユーラップ、オシャマンベの辺で二つに分かれ、一つの分派は函館の方へ行って津軽海峡を渡り、東北地方を占拠し、また他の分派はオシャマンベから噴火湾に沿うて南下し、室蘭から幌別、白老を通って太平洋岸を東進し、日高のシズナイの辺まで行って、あそこで十勝の方から西進してきた一派と衝突し、そこからサル川沿いに奥地にはいったのが今の日高のサル地方のアイヌで、このように一応北海道の各地の海岸に定着したアイヌが、そこから石狩川とか十勝川とか沙流川とか、大きな川をさかのぼって次第に北海道の内陸に占拠するようになったのが、現在われわれが見るアイヌの分布状態であるということを、主として言語研究の立場から私は説いてみたのであります。そこで、今回は前回のテーマに関連して、アイヌ文化の海洋性ということを説いてみたいと思うのであります。
 海の民族として最も重要なものの一つは舟でありましょう。アイヌは日本古代の万葉人が「大船にまかぢしじぬき」と言ったような大きな船をペンチャイとかロクンテウとか言いますが、これはその名称が示すとおり、日本の船であってアイヌ固有の舟ではありません。アイヌ固有の舟といたしましては丸木舟であります。これにわき板のついたのがモチ[#挿絵]とか、イタオマチ[#挿絵]とかいうもので、そのわき板のない、いわゆる「たななし小舟」に当るものがチ[#挿絵]で、これが近代におけるアイヌ生活における最も普通の舟であったようであります。この他にヤッチ[#挿絵]といって山狩の獲物が多かった際、臨時に大木の皮を剥いで両端を折り畳んで舟型にし、木皮の紐で綴り、木の枝で補強したものを石狩川などでは用いていました。
 この作り方に暗示を与えたろうと思われるのは皮舟、すなわちトントチ[#挿絵]であります。これは北海道アイヌが実際に用いたという現実の証拠は見当りませんが、北海道各地の古い説話の中に出てくるものであります。たとえばそれが昔話の中には鬼の宝物となっていて、畳んでいたのをひろげて海に浮かべると千里を走る、などと伝えられているのであります。千島のアイヌはこれを現実に知っていたらしいことが古く文献に見えております。辺要分界図考という本に、ラッコ島の夷人(たぶんアレウトかと思いますが)キモヘイという者がウルップ島へきて、その本国の舟を作った。その作り方は「舟をトドの皮にて張り、袋の如くこしらえ、中には木の骨を入れ、夷人一人乗って、袋…

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