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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題264 八五郎の恋人
264 はちごろうのこいびと
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二卷 白梅の精」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年4月5日
初出「面白倶樂部」1951(昭和26)年夏季増刊
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-01-19 / 2015-12-30
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「親分、お早やう」
 飛込んで來たのは、お玉ヶ池の玉吉といふ中年者の下つ引でした。八五郎を少し老けさせて、一とまはりボカしたやうな男、八五郎の長んがい顏に比べると、半分位しか無い、まん圓な顏が特色的でした。
「玉吉兄哥か、どうしたんだ、大層あわてゝ居るぢやないか」
 明神下の平次の家、障子の隙間からヌツと出したのは、その八五郎の長んがい顎だつたのです。
「錢形の親分は?」
 お玉ヶ池の玉吉は、氣拔けがしたやうに、ぼんやり立つて居ります。
「留守だよ、笹野樣のお供で、急の京上りだ」
 與力筆頭笹野新三郎は、公用で急に京都へ行くことになり、名指しで錢形平次をつれて行つたのは、つい二、三日前のことだつたのです。
「そいつは弱つたな、歸りは?」
「早くて一と月先、遲くなれば來月の末だとよ、その間俺の叔母は、此處へ留守番に泊り込みだから、叔母の家に厄介になつて居る俺は、日に三度店屋物を取るわけに行かねえ、口だけは此處へ預けて、向う柳原から通つて居る始末さ」
「弱つたなア」
「何を弱つて居るんだ、錢形の親分の留守中は、憚り乍ら俺は城代家老さ、困ることがあるなら遠慮なく言ふが宜い、金が欲しいなら欲しいと――」
 大きなことを言つて、八五郎はそつと懷中を押へました。その中にある大一番の紙入には、穴のあいたのが少々入つてゐるだけだつたのです。
「そんな話ぢやないよ、矢の倉で殺しがあつたんだぜ、八五郎兄哥」
「そいつは大變ぢやないか、錢形の親分程には行かないが、大概のことは俺で裁ける積りだ。さア、案内してくれ」
「さうかなア、大丈夫かなア」
 玉吉はひどく覺束ながりますが、八五郎では嫌とも言ひ兼ねて、ヒヨコヒヨコと先に立ちます。
「大丈夫かなアは心細いぜ、おい、玉吉兄哥、斯う見えたつて、錢形平次の片腕と言はれた、小判形の八五郎だ」
 胸をドンと叩きますが、くたびれた單衣の裾を端折ると、叔母が丹精して繼を當てた、淺葱の股引がハミ出して、あまり威勢の良い恰好ではありません。
 事件のあつたのは、矢の倉の稻葉屋勘十郎。
「内儀のお角が、昨夜風呂場で、障子越しに刺され、その場で息を引取つたよ」
 道々お玉ヶ池の玉吉は説明してくれました。稻葉屋勘十郎といふのは、何處から流れて來たともわからぬ浪人者で、稻葉屋に用心棒代りの居候で入り込んで居るうち、主人が死ぬとその儘ズルズルと後家のお角の婿になり、僅か四、五年の間に、日本橋から神田へかけても、指折りの良い顏になつた男でした。
「すると内儀は、金の怨でなきア、色戀沙汰ぢやないか」
「金の怨なら、主人の勘十郎がやられる筈さ、殺された内儀は、三十八の大あばたで、色戀とは縁が遠いぜ」
「兎も角も、現場を見ての上だ」
 二人は矢の倉の稻葉屋へ着いたのは晝少し前、見廻り同心が町役人を立ち會はせて、檢死が濟んだばかりといふ時でした。
「向柳原の八五…

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