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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題296 旅に病む女
296 たびにやむおんな
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第五卷 蝉丸の香爐」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年5月25日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1953(昭和28)年2月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2015-05-26 / 2015-04-06
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 浪人大澤彦四郎は、まことに評判の良い人でした。金があつて情け深くて、人柄が穩かで、これが昔、人斬庖丁を二本、腰にブラ提げて、肩で風を切つた人とは、どうしても受取れないほどの物柔かな中老人だつたのです。
 中老人と言つても、五十になるやならずで、男前も立派、武藝のほどは知りませんが、金も相當以上に持つてゐるらしく、分に過ぎた慈悲善根を施こして、その日/\を豊かに暮して居るのに、少しも困る樣子は無いばかりでなく、益々富み榮えて、『あれは金の實る木でも植ゑてゐるのだらう』と、近所の人たちから噂されたほどです。
 この大澤彦四郎が、殺されかけたのですから、世の中は全く出鱈目といふ外はありません。
 二月になつたばかりといふ、ある寒い晩でした。主人の大澤彦四郎、外から歸つて來ると、自分の家の前に、踞まつて苦しんでゐる、一人の若い女を見かけたのです。
 夜はもう、亥刻(十時)過ぎだつたでせう。
「これ、どうなされた、大層、苦しさうではないか」
 彦四郎が聲を掛けると、
「ハイ、有難うございます、私、この持病がございますので、俄かの差込みで、苦しんで居ります」
 月の無い晩で、見當もつきませんが、聲の樣子では、いかにも苦しさうで、しかもさう言ふうちにも、苦しさがコミ上げるのか、キリキリと齒を噛んで居ります。
「それはお氣の毒、この寒さに、地べたに坐つて居ては、持病が無くとも、差込みが起るだらう、まア、家へ入られるが宜い」
 大澤彦四郎は、斯う言つた親切な男だつたのです。腰に差して居た、たしなみの脇差を後ろ腰に廻すと、大地に這ひ廻つてゐる女の人を助け起し、さて、自分の家の前まで抱へて來て、家の者を起しました。
「ハイ/\唯今」
 戸を開けてくれたのは、下女のお近といふ中年女、内儀のお徳も奧から聲を聽いてやつて來て、
「お歸り遊ばせ、まア、おつれ樣で」
 と、若い女を見て、少し變な顏をして居ります。
「なに、つれといふわけでは無い、ツイ其處で、苦しんで居られるのを見付けて、お氣の毒だから、お連れ申したのだ、早速お醫者でも呼ぶが宜い――」
「まア、それは、それは」
 内儀も少し困つて居る樣子です、主人彦四郎の善根癖には、毎々手を燒いて居るのです。
「いえ、お醫者樣にも及びません、持藥も用意してあります、少し休まして戴けば――」
 いくらか、氣分だけでも落着いたものか、靜かに顏を擧げました。
 見ると、なか/\の良いきりやうです。年の頃は、二十二三にもなるでせうか、身なりも賤しくは無く、物言ひも上品に確りして居ります。
 その時、
「どうなされた、――御病人を拾つた? それは/\」
 奧から出て來たのは、瀧山誠之進といふ、二十五六の若い浪人者でした。これは知人の紹介で三月ばかり前に、北の國から、江戸表へやつて來て、大澤彦四郎の厄介になり、新しい勤口などをさがして居たのです…

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