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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題024 平次女難
024 へいじじょなん
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第十二卷 鬼女」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年8月25日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1933(昭和8)年12月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-05-29 / 2014-09-16
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「八、良い月だなア」
「何かやりませうか、親分」
「止してくれ、手前が鹽辛聲を張り上げると、お月樣が驚いて顏を隱す」
「おやツ、變な女が居ますぜ」
 錢形の平次が、子分のガラツ八を伴れて兩國橋にかゝつたのは亥刻(十時)過ぎ。薄寒いので、九月十三夜の月が中天に懸ると、橋の上に居た月見の客も大方歸つて、濱町河岸までは目を遮る物もなく、唯もうコバルト色の灰を撒いたやうな美しい夜です。
 野暮用で本所からの歸り、橋の中程まで來ると、ガラツ八がかう言つて平次の袖を引きました。大した智慧のある男ではありませんが、眼と耳の良いことはガラツ八の天稟で、平次の爲には、これ程誂向のワキ役はなかつたのでした。
「あの女か」
「ありや身投ですぜ、親分」
「人待ち顏ぢやないか、逢引かも知れないよ」
「逢引が欄干へ這ひ上がりやしません、あツ」
 橋の上にシヨンボリ立つて居た女、平次とガラツ八に見とがめられたと氣が付くと、いきなり欄干を越して、冷たさうな水へザンブと飛込んで了つたのです。
「八、飛込めツ」
「いけねえ、親分、自慢ぢやねえが、あつしは徳利だ」
「馬鹿野郎、着物の番でもするがいゝ」
 さういふうちにパラリと着物を脱ぎ捨てた平次、何の躊躇もなく、パツと冷たさうな川へ飛込んで了ひました。
 女は一度沈んで浮かんだところを、橋の下にやつて來た月見船が漕ぎ寄せ、何をあわてたか櫂を振上げましたが、氣が付いたと見えて、水の中の平次と力を併せ、身投女を舷に引揚げました。
 女は激動の爲に正體もありませんが、幸ひ大して水は呑んで居ない樣子、月見船の客は船頭と力を併せて、濡れた着物を脱がせて、船頭の半纒や、客の羽織などを着せて、擦つたり叩いたり、いろ/\介抱に手を盡して居ると、何うやらかうやら元氣を持ち直します。
 蒼い月の光に照らされたところを見ると、年の頃は二十二三、少しふけては居りますが、素晴らしい容色です。
「何うだい、氣分は。少しは落着いたか、何だつてそんな無分別な事をするんだ」
 平次は素つ裸のまゝで、女を介抱して居ります。近間に居る月見船が二三隻、この騷ぎに寄つて來ましたが、無事に救ひ上げられた樣子を見ると、この頃の町人は『事勿れ主義』に徹底して、別段口をきく者もありません。
「有難う御座います」
 顏を擧げた女、平次はそれを正面から眺めて、何うやら見覺えがあるやうな氣がしてなりません。
「違つたら謝るが、お前さんは、お樂といやしないか」
「えツ?」
 女はもう一度心を取直して、橋間の月に平次の顏をすかしました。
「ね、矢張りお樂だらう?」
「あツ、錢形の親分、面目ない」
 女は毛氈の上へ身を投げかけるやうに、消えも入りたい風情です。男の羽織と半纒を引掛けた淺ましい姿がたまらなく恥かしかつたのでせう。
「錢形の親分さんで、――これは良い方にお目にかゝりました。私は長谷川町で…

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