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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題136 鐘五郎の死
136 しょうごろうのし
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十五卷 火の呪ひ」 同光社
1954(昭和29)年5月10日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1942(昭和17)年8月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-10-26 / 2016-09-21
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 三河町一丁目の大元締、溝口屋鐘五郎の家は、その晩割れ返るやうな賑ひでした。親分の鐘五郎は四十三歳、後厄の大事な誕生日を迎へた上、新に大々名二軒の出入りを許されて、押しも押されもせぬ、江戸一番の人入稼業になつた心祝ひの酒盛だつたのです。
 集つた子分は三十八人、店から奧へ三間ほど打つこ拔いて、底の拔けるやうな騷ぎ。――十六基の燭臺、二十幾つの提灯に照された酒池肉林は、歡樂極まつて淺ましい限りでした。
 親分の鐘五郎は、暫くこの有樣を眺めてをりましたが、あまり強くない酒を過したのと、この上頑張つてゐると、子分共の感興を妨げることに氣が附いて、上座の子分二三人に目顏で合圖をしてそつと起ち上がりました。こゝから廊下續きの自分の部屋に歸つて、靜かに休むつもりだつたのでせう。
 子分の勘次と六助は、早くも氣が附いて、親分の後に從ひました。
「いゝよ、休むのは獨りの方が氣樂だ。――お前達の姿が見えなくなつたら、後が淋しからう。歸つてゆつくり飮み直すがいゝ」
 薄暗い廊下の端つこ――自分の部屋の入口に立つて、鐘五郎は手を振りました。鬼の鐘五郎と言はれた酷薄無殘な男ですが、滿ち足りた今宵ばかりは、さすがに鷹揚な心持になるのでせう。
「それぢやあんまり」
「いゝつてことよ、みんなの氣の付かないうちに歸つてくれ」
「それぢや、親分」
「あとを頼むよ」
「お休みなさいまし」
 勘次と六助は、親分の鐘五郎が唐紙を開けて自分の部屋に入るのを見定めて、もとの酒宴の席に歸つたのです。それが丁度亥刻(十時)――上野の鐘が騷ぎの中を縫つて、響いてゐるのに氣が附きました。
「忌々しいぢやないか。――裏の臆病馬吉奴、まだ尺八を吹いてやがる」
 勘次は大きく舌打をしました。もとは飯田町の伏見屋傳七の身内で、勘次や六助と同じ釜の飯を食つた臆病馬吉といふ男が、伏見屋が沒落した後、勘次や六助が溝口屋の身内になつて、相變らず威勢の良い暮しをしてゐるのに、甲斐性がないばかりに日傭取にまで身を落し、好きな尺八一管を友に、溝口屋の裏に住んで見る影もなく生きてゐる馬吉だつたのです。
「宵から息もつかずに吹いてゐるよ。どうせ臆病馬吉の藝當だから、糸に乘るやうな代物ぢやねえが、こちとらの酒までまづくさせるのは業腹だね」
「――おや、今晩はいつもよりうめえやうだが――」
「うまくたつて、女を口説く足しにはならねえよ」
「違えねえ」
「ハツハツハツ」
 二人は顏見合せて笑ひながら、もとの亂酒の席に還りました。ドツ、ドツと波打つ馬鹿騷ぎの間を經つて、ひよぐるやうな尺八の調べが、狹い庭を隔てた隣の長屋から、小止みもなく響いて來るのです。
 それから四半刻(三十分)と經たぬうちに、事件は思はぬ大發展をしました。酒席の手のすいた時、下女のお元は親分の床がまだ敷いてなかつたことに氣が附き、あたふたと廊下傳ひに駈けて行きました…

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