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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題160 二つの刺青
160 ふたつのいれずみ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十五卷 火の呪ひ」 同光社
1954(昭和29)年5月10日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1946(昭和21)年10月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-05-12 / 2016-03-04
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「親分、大變な者が來ましたよ」
 子分の八五郎、ガラツ八といふ綽名の方がよく通るあわて者ですが、これでも十手捕繩を預かる、下つ端の御用聞には違ひありません。
「何んだ? 今更借金取なんかに驚く柄ぢやあるめえ。ズイと通しな」
 江戸開府以來と言はれた捕物の名人錢形の平次は、それでもとぐろをほどいて居住ひだけは直しました。まだ三十代に入つたばかり、燻したやうな澁い人柄で、ざらの『好い男』扱ひにするには勿體ない肌合ひの男です。
「女ですよ、親分」
「女に驚いた日にや、叔母さんに小言を言はれる度に眼を廻さなきやなるまい」
「それも唯の女ぢやねエ、兩國で江戸中の人氣を湧き立たせてゐる娘手品師のお關――良い女ですぜ」
「馬鹿野郎、涎を拭いて丁寧に通すんだ。何時までも大玄關に立たせて置くと、お客樣が夕立に流されるぞ」
「へツ、大玄關は嬉しいね」
 ガラツ八は泳ぐやうな足取で入口に引返しました。この掛合ひが、平次の所謂大玄關まで筒拔け、丁度その時追つ立てるやうにザーツと一と夕立來ると一と打二た打眼を射る猛烈な稻光り、彈くやうな雷鳴が、押つ冠せてガラガラツと耳をつん裂さき[#「裂さき」はママ]ます。
「あつ」
 その雷鳴に尻を引つ叩かれたやうに、ズブ濡れの女が一人、會釋もなく飛び込んで來ました。尤も格子を開けて障子を押し倒して、取次の八五郎を突き飛ばせば、もう厭も應もなく平次と顏を合せなきやなりません。
「御免下さい、親分。私はあんまりびつくりして」
 女は敷居際にヘタヘタと坐ると、單衣の袂でいきなり自分の襟やら首やらを拭いてをります。年の頃は二十歳か二十一、白粉ツ氣はありませんが、表情的で仇つぽくて、身のこなしが滅法艶めかしい上、少し大きい顏の造作も、舞臺馴れた人によくある不思議な吸引力を持つてをります。
「大層物驚きをするぢやないか。俺はまた綺麗な雷獸が飛び込んだのかと思つて膽をつぶしたよ」
「あれ、親分」
 お關はさすがに極り惡さうでした。
「ところで何んの用事で飛び込んで來たんだ。まさか雨宿りぢやあるまい」
「え、大變なことが起りました。是非親分のお力を拜借して――」
「斷つて置くが、俺は喧嘩出入りと金のこと、それから色事に首を突つこむことは御免だよ」
 平次は一服吸ひ付けて、大きく手を振りました。安煙草の烟を拂ひ退けでもするやうに。
「そんな氣障なんぢやありません。御存じでせうが、私の妹分のお玉、――あの娘が見えなくなつたのです」
「何? お玉が行方知れずになつたといふのか」
 それは兩國中の見世物小屋を壓倒した、明星のやうな人氣者でした。藝はさしたることはないにしても、その磨き上げられたやうな冷たい美しさが呼物になつて、姉のお關以上に江戸中の人氣をさらつてゐたのです。
「ですから親分」
 お關は持前の彈力的な身體をくねらせて美しい指先をかう拜む形に合せたりす…

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