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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題132 雛の別れ
132 ひなのわかれ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十五卷 火の呪ひ」 同光社
1954(昭和29)年5月10日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1942(昭和17)年4月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-10-08 / 2016-09-09
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「こいつは可哀想だ」
 錢形平次も思はず顏を反けました。ツイ通りすがりに、本郷五丁目の岡崎屋の娘が――一度は若旦那の許嫁と噂されたお萬といふ美しいのが、怪我で死んだと聽いて顏を出しますと、手代の榮吉がつかまへて、死にやうに不審があるから、一應見てくれと、厭應言はさず、平次を現場へ案内したのです。
 それは三月の四日、雛祭もいよ/\昨日で濟んで、女の子にはこの上もなくうら淋しいが、華やかな日でした。桃は少し遲れましたが、櫻はチラリホラリと咲き始めて、昔ながらの廣い屋敷を構へた大地主――岡崎屋の其處からはお茶の水の前景をこめて富士の紫まで匂ふ美しい日、この情景とは凡そ相應はしくない、陰慘なことが起つたのでした。
「これはひどい」
 平次はもう一度唸りました。二十一といふと、その頃の相場では少し薹が立ちましたが、兎にも角にも、美しい娘盛りのお萬が、土藏の中、――丁度階子段の下のあたりで巨大な唐櫃の下敷になつて、石に打たれた花のやうに、見るも無殘な最期を遂げてゐたのです。
「あ、親分」
 平次の顏を見ると、必死の力を出して、娘の死骸の上から唐櫃を取除けた父親の半九郎――岡崎屋の支配人――は氣狂ひ染みた顏を擧げて、平次に訴へるのでした。その絶望的な瞳には、形容しやうもない狂暴な復讐心が燃えるやうでもあり、運命に虐げられて、反抗することのできない檻の中の猛獸の諦めがあるやうでもあります。
「親分さん、あんまりぢやありませんか。お萬の仇を討つて下さい」
 手代の榮吉はそつと袖を引きました。
 唐櫃は骨董やガラクタ道具を入れたもので、舊家にこんな物のあることはなんの不思議もありませんが、その唐櫃の中に、骨董品に交つて、巨大な漬物石が二つ――二三十貫もあらうと思はれるのが入つてゐたのは奇怪で、その上二階の階子段から少し離れて、安全な場所にある筈の二つ重ねの唐櫃が、何時の間にやら手摺の側に寄つて、上のが一つ、欄干を越して轉がり落ちたのは尋常ではありません。
 見ると、唐櫃と一緒に二間餘りの長い綱で連絡した棒が一本と薄い板が庭に落ちてをり、その綱は有合せの短かい繩を三本も結び合せたもので、結び目が一寸見ると男結びに似た機結びだつたことなどが、咄嗟の間に平次の注意をひきます。
 お萬の死骸は全く見るも無殘でした。百貫近い唐櫃にひしがれて聲も立てずに死んだことでせう。
「親分さん、これが唯の怪我や過ちでせうか」
 手代の榮吉の言ふのも全く無理のないことです。
 兎も角も、お萬の死骸を家の中に移さして、これからひと調べといふ時、
「親分、大變なことがあつたんですつてね。何んだつてあつしを呼んで下さらなかつたんで」
 甚だふくれて飛び込んできたのは、ガラツ八の八五郎でした。
「八か、さう言つてやる隙がなかつたのさ。まア、手を貸してくれ。いゝ鹽梅だ」
「何をやらかしやいゝんで?」
「…

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