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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題230 艶妻伝
230 えんさいでん
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第三十卷 色若衆」 同光社
1954(昭和29)年8月5日
初出「月刊読売別冊」1949(昭和24)年2月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2017-06-08 / 2017-04-03
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「親分、あツしもいよ/\來年は三十ですね」
 錢形平次の子分、愛稱ガラツ八こと八五郎は、つく/″\こんなことを言つて、深刻な顏をするのでした。
「馬鹿だなア、松が取れたばかりぢやないか。そんなのは年の暮に出て來る臺詞だよ」
 平次は相變らずの調子で、相手になつてやりながら、この男のトボケた口から、江戸八百八町に起つた――あるひは起りつゝある、もろ/\の事件の匂ひを嗅ぎ出すのです。
「こちとらは、大したお濕りがないから、暮も正月も氣が變りませんよ。これでうんと借金でもあると、暮は暮らしく、正月は正月らしい心持になるんだが――」
「相變らず間拔けな話だなア、どこの世界に八五郎に金などを貸すお茶人があるものか」
「有難い仕合せで。正月らしい心持にもならないかはり、首を縊る心配もないわけで」
「ところで、來年三十になつたら、どんなことになるんだ」
 平次は話の捻を戻しました。
「來年は三十、さ來年は三十一でせう」
「不思議なことに人間は一つづつ年を取るよ」
「三十に手が屆かうといふのに、女房になり手のないのは心細いぢやありませんか」
 ようやく八五郎は結論に辿りつきました。さう言つてなんがい顎を撫で廻すほど、彼氏は臆面もなく出來上がつてゐるのです。
 お勝手の方で、その述懷を漏れ聽いてたまらなさうに笑つてゐる者があります。言ふまでもなく、平次の戀女房のお靜、それはまだ若くも美し[#「美し」はママ]もありました。
「呆れた野郎だ、俺のところへ、女房の催促に來たのか」
「そんなわけぢやありませんがね」
「それぢや良い娘でも見付かつて、橋渡しをしてくれといふのか」
「娘なら親分に頼むまでもなく、小當りに當つて見るが、相手が人の女房ぢや手の出しやうがありません。これぞと思ふ女がみんな亭主持ちなんだから、世の中が嫌になるぢやありませんか」
 八五郎は飛んでもないことを言ひ出して、大して悲觀する樣子もなく、ニヤリニヤリとするのです。
「馬鹿野郎、人の女房などに眼をつけやがつて、水をブツかけて掴み出すよ」
 荒つぽいことを言ひながらも、平次はとぐろをほぐしさうもなく、自棄に煙草盆を引寄せて、馬糞臭いのを二三服立てつゞけに燻らします。
「眼をつけたわけぢやありません。まア聽いて下さいよ。この世の中にあんな良い女房があると思つただけで、あつしは生きてゐる張合ひが付きましたよ」
「この世の中には――大きく出やがつたな」
「鎌倉町の油問屋越前屋治兵衞の内儀でお加奈さんの噂は、親分も聽いたことがあるでせう」
「知らないよ。越前屋治兵衞は大した身上だといふが、その内儀のことまでは詮索が屆かなかつたよ」
 平次は突つ放したやうに言ひます。
「大した女房ですよ」
「さうですつてね。綺麗で愛想がよくて、悧巧で、申分のないお内儀さんださうぢやありませんか」
 お靜はお勝手から合槌を打ちました。…

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