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軽井沢にて
かるいざわにて
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「世界教養全集 別巻1 日本随筆・随想集」 平凡社
1962(昭和37)年11月20日
初出「旅人の心」1942(昭和17)年3月
入力者sogo
校正者Juki
公開 / 更新2013-05-07 / 2014-09-16
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 長谷川伝次郎氏の『ヒマラヤの旅』には、二万尺以上の霊峰を跋渉した時の壮快な印象が記されている。古来、現世の罪や穢れを洗い清めるために参詣すべき聖地として印度人に憧憬されていたカイラースの湖畔などは、この世のものとは思われないそうである。そこは、一本の樹木もない茫々たる土塊のなかの水溜であるに関わらず、ただ空気が清澄であるために、天国のような光景を呈しているのだそうである。私にも、その光景が微かに空想されないことはない。海抜三千尺に過ぎない軽井沢にいてさえ、快く晴れた朝など、ふと、下界に居る時とは生き心地の異った恍惚境にいるような感じに打たれることがある。二万尺の高原と云えば、軽井沢の七倍の高さである。この世のものとは思われないのは当り前である。「この世のものとは思われない」ところに自分の身を置いている気持、そういう境地にいては、生きていてもよく、また死んでもいいような気持。……長谷川氏などのようなカイラース巡礼者が、口にも筆にも現わし得ない讃美の感じが、私の心にも微かに伝えられそうに思われる。
 樹木の枝ぶりがどうだとか、築山や泉水の形がどうだとか云ったような、日本の庭園風のこましゃくれた技巧なんかは、清澄な空気のなかにあっては、余計なものであって、三千尺、一万尺、二万尺の高地では、澄んだ空気だけが、絶対美の世界を我々の眼前に髣髴させるのである。……私は、軽井沢の大路小路を、当てもなく、あちらこちらと歩きながら、未知のヒマラヤの高原を空想し、一瞥したことのあるスコットランドの高原や、スイスの山地を追想している。いずれも小説離れのした世界である。二万尺の山岳を攀登るなんて凡人の企て及ぶところではないが、カイラースの湖畔は、「この世のものと思われぬ」が、これは現世の楽園であると、長谷川氏の云っている印度の西北の高地、カシミールくらいの所へは私だって行けないことはあるまい。私は、今年、晩春初夏の頃、四国九州の名所古蹟を幾つか見て廻ったが、子供の時から幾十年も見馴れているものを、所を変えて見るに過ぎない物足りなさを感じた。新しい刺戟は何もなかった。何処へ行っても、名所には松の木が林立していた。松の木がそんなに面白いのであろうか。松の木は武士道とともに、日本魂の表象ででもあるのかと思ったりした。
 軽井沢は松の木を誇る日本趣味の名所ではない。外人によって開拓された国際的避暑地として、今日の時世にも、まだ外人が我物顔に振舞っているのが目ざわりになることもあるが、それよりも、この地にうろうろしている青年男女の風俗や挙動が、外人のイミテーションとしか思えないのが、私には擽ったく思われることが多い。我々にはよく分らないが、こんな日本の避暑地の外人の風俗は、西洋の本場の避暑地の風俗に比べると、野暮ったくて田舎くさくって薄汚いそうである。だが、日本の青年男女は、意識的に或は無意…

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