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昔の西片町の人
むかしのにしかたまちのひと
作品ID55186
著者正宗 白鳥
文字遣い旧字旧仮名
底本 「正宗白鳥全集第十二卷」 福武書店
1985(昭和60)年7月30日
初出「中央公論 第四十年第十号」中央公論新社、1925(大正14)年9月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者山村信一郎
公開 / 更新2013-12-25 / 2016-06-07
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「日本の文壇は今全く不良少年の手に落ちました。何等の教養も何等の傳統もない不良少年の手に落ちました。」と、博士はその華やかであつた青年時代の、唯一の名殘りであるやうな、美しい眸を輝かしながら、嘆聲を洩らすのを聞く時には、雄吉は不良少年の手に落ちた文壇を悲しむよりも、博士自身に對して、妙な寂しさを感ぜずにはゐられなかつた。……
 覇氣に富んだ人氣作家K氏の小説集を讀んでゐるうち、「葬式に行かぬ譯」と題された一篇の中の、かういふ記事のあるところまで來ると、私は思はず、獨り笑ひを洩らした。そして、書物から目を離して、作中の博士について考へた。
「日本の文壇は、今全く不良少年の手に落ちました。」
 中田博士が、今から十餘年前に、京都大學の教室で、かう云つて歎息したといふことは私をして、十年前に若くして世を去つた博士の面目を、印象鮮明に思ひ浮べさせるよすがとなるのである。
 成るほど博士の云ひさうな言葉である。他の老大家などが云つたのなら、私は何の興味もなく聞き流すのであるが、中田博士が、京都の文科大學の教室で、學生に向つてさう云つたのは、私には甚だ面白いのである。
 その頃の文壇には自然主義がまだ跋扈してゐた。詩が輕んぜられてゐた。田舍臭い蕪雜な文章や卑俗な思想が、新文學の名の下に臆面もなく世に現れてゐた。博士の胸に抱かれてゐた至醇の藝術とは相容れざること氷と炭との如くであつた。
「天下の文章、不良少年の手に落つ。」私は、中田博士の假聲を使つて、二三度呟いた。博士の心にあつた不良少年團の名簿には私の名前も黒い字で記されてゐたに違ひない。
 私は、官學出の文學者のうちでは、中田鋭氏には比較的頻繁に接してゐた。學生時代にも一二度訪問して、歐洲新文學の研究法を訊ねたり、書物を一二册借りたりした。氏と私との年齡の差は五六歳に過ぎなかつたが、氏の博學は早くから評判されてゐて、私の同窓の一人は、「中田さんは訪問客と話をしてゐる時でも、外國の本を手に持つて讀んでるさうだ。」と、感心して私に話した。「頭が二重に働くんだな。」と、私も、氏の頭が凡人に傑れてゐるらしいのに敬服した。耳で人の話を聞きながら、目では本を讀む癖をつけると、時間が無駄にならなくつていゝと、自分でも眞似をしようと思つた。その頃は讀書慾が旺盛で、多讀をえらいことのやうに思つて、千駄木の大家が夜二三時間しか眠らないで讀書するといふ噂を聽いて感歎したり、道を歩きながらも書物を讀んでゐる學生の勉強ぶりに心を惹かれたりした。そして、私自身も、無茶苦茶に本を讀みたがつてゐた。獨歩の「あの時分」といふ小説に、「あの時分は、誰れも彼れもやたらに本を讀んだものです。」と書いてあつたが、あの頃の學生は一體に今の學生よりも讀書に努めてゐたのかも知れない。……カツフエーも活動寫眞も蓄音機もラヂオも音樂會もなかつた時代だから、本でも讀まな…

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