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日本の頭脳調べ
にほんのずのうしらべ
副題――特に自然科学者に就て――
――とくにしぜんかがくしゃについて――
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「戸坂潤全集 別巻」 勁草書房
1979(昭和54)年11月20日
初出「中央公論」1937(昭和12)年6月号
入力者矢野正人
校正者Juki
公開 / 更新2012-08-16 / 2014-09-16
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 文化勲章受領者の九氏については、誰と云って文句のつくべき人はないだろう。自然科学者の本多光太郎、長岡半太郎、木村栄の三氏は国際的な大科学者であり、夫々斯界の長老であり、そして現役の大物であることに於て、正に適切だと云わねばならぬ。日本画家の横山大観、竹内栖鳳も動かぬ処である。洋画家で藤島武二と岡田三郎助の両氏もまず洋画から選ぶとすれば不思議でない。幸田露伴と佐佐木信綱の二氏も大いにいいだろう。
 ただ世間でこの顔振れを見て、何か物足りない観を懐くのは多少事実ではないだろうか。まず文学者の代表という意味でなら、幸田露伴や佐佐木信綱の他に、之に並ぶべき人物はいくらでもある筈である。例えば島崎藤村は今日は押しも押されもしない大作家の定評がある。年齢のことを問題にしないならば菊池寛も作家としての国民的功労があるかも知れない。それに、洋画で和田英作が漏れているのも少し不公平のようだし、日本画で川合玉堂の貫禄を見落すことは出来ぬ筈。
 処がこうして均衡を保つまでに人を殖やして行くと、例えば画家と他の人達との均衡が著しく失われて来るのである。ただでさえ、九人の内の四人が画家であるということはどう考えても変である、日本の画家が作家其他の文学者の二倍に相当するという比重は、日本の社会の常識が許さぬ処だ。そればかりではない。一人の医者も一人の哲学者も這入っていないのは、決して日本の文化に忠実なものではないだろう。そして俳優や音楽家などがまるで選ばれなかったのはなぜだろうか。
 こう疑問を提出して行くと、疑問は重なる一方である。私はなぜ社会科学者が選ばれなかったか、というような野暮な質問は止めよう。社会科学は日本では若い学問だから、斯会の長老というものは本当の意味ではいない。まして現役の長老はいない。すでに時代おくれで、多少滑稽な存在であるような老大家か、そうでなければ政府が国民の模範として押し立てることの出来ないような若い思想の縁故者である。そして少しでも思想的な価値を有っている人間は、文化勲章には適当でないのである。長谷川如是閑氏も駄目なら、西田幾多郎氏でさえ適切でない。徳富蘇峰氏も一種の言論家である限り困る。思想というような形のものは結局、日本文化の伝統に於ては何か異なものと見えるからである。と共に、充分年をとらない人間も尤もらしくなくて不適当だ。なぜなら自然科学などでもそうだが特に人文的な世界では年の功がおのずから貫禄を有って来るので、之は評価に於て最も常識的で間違いがないように思われるからだ。
 九人の人物はどれも国家的な存在だ。自然科学の三人は国際学界の巨頭であるということによって国家的存在だが、二人の日本画家は世界に類がないという意味で国家的存在である。又二人の文学者は、日本の伝統に就いての最も深い知識の所有者であるか、それとも日本の伝統的文化の保存者であるという…

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