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日本文化の特殊性
にほんぶんかのとくしゅせい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「戸坂潤全集 別巻」 勁草書房
1979(昭和54)年11月20日
初出「歴史」1937(昭和12)年11月号
入力者矢野正人
校正者Juki
公開 / 更新2012-08-16 / 2014-09-16
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 文化の混乱や思想の混乱が日本で叫ばれ始めたのは、しばらく前からである。日本に於ける科学的社会主義の思潮の生長以来である。日本の思想や文化を混乱と感じた者は、その際自分自身混乱に陷った所の、特色に乏しい既成の思想の持主と文化意識とであった。社会主義思潮の方は決して日本の思想や文化をただの混乱などとは見なかった。そこには新興の希望に富んだ観念の秩序があった。混乱の代りに秩序があったのだ。
 だが思想文化が一つの新しい秩序を押し出す時、之を混乱として受けとる側も、やがては之に対抗する独自の別な秩序を打ち樹てようとし始める。混乱混乱と云って騒ぎ立てるのは、この対抗する反作用的な秩序に勿体をつけるための掛け声なのである。現に今日の日本を見ると、すでに反作用的な思想秩序は略々その輪廓が出来上った。戦時体制がこの思想輪廓に一段と城壁を構築した。挙国一致であり国内相尅の止揚であり精神総動員である時、もはや混乱や何かはどこにもない筈である。で今もし、混乱しているものがあるとすれば、何とかしてこの城廓内に編入されたいと思いながらも、まだ充分に信頼をかち得ていないために、右顧左眄して順応に汲々としている或る種の文化論者の類いである。彼等のチグハグな情緒、彼等のシドロモドロの理論がいい例であろう。順応の野心のない処には、元来混乱などはあり得ないのだ。だが之とても私は混乱とは見ることが出来ない、混乱どころではない、却って彼等一流の生活問題の解決なのだ。
 だから客観的に見て、存在するものは思想や文化の混乱ではなくて、実はその対立なのである。この思想文化上の対立を単に混乱という風に見て取るのは、見る眼がだらしないためであり、無責任なヤジウマ気分のせいである。日本の文化は混乱などしていない。ただ到る処、対立と撞着とがあるのだ。而もこの対立撞着が極めて組織的な構造を有っているのである。文化の渾一や統一がないということは事実だ。併しそれをすぐ様混乱だとするのは、その内に身を置いて考えない無責任な常識の業であろう。
 思想対立や文化対立というと、一種の人民戦線的な響きを有つかも知れない。その響きを有つことの良し悪しは今論外として、私は必ずしも、そういう政治的な問題としてこの対立を考えているのではない。封建的乃至資本主義前的な文化要素と、資本主義後的な文化要素とが、到る処に於て対立撞着雑居することによって、おのずから夫々独自の文化のシステムを形造っているという、現代日本に特有な歴史的事実を指すのである、之を一応は、伝統文化と近代文化の対立とか、又莫迦げた観念ではあるが、欧米(西欧)文化と東洋文化の対立とか、云うのも勝手である。尤もそういう呼び方で片づける位いなら、もっと実状を卒直に告げるだろう事大主義文化と民衆自発的文化と、の対立とでも呼んだ方がいいかも知れないのだが。
 尤も資本主義前的文化…

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