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うらむらさき
うらむらさき
作品ID55667
著者樋口 一葉
文字遣い旧字旧仮名
底本 「樋口一葉全集第二卷」 新世社
1941(昭和16)年7月18日
初出「新文壇 二號」1896(明治29)年2月5日
入力者万波通彦
校正者岡村和彦
公開 / 更新2014-11-29 / 2014-10-23
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 夕暮の店先に郵便脚夫が投込んで行きし女文字の書状一通、炬燵の間の洋燈のかげに讀んで、くる/\と帶の間へ卷收むれば起居に心の配られて物案じなる事一通りならず、おのづと色に見えて、結構人の旦那どの、何うぞしたかとお問ひのかゝるに、いえ、格別の事でも御座りますまいけれど、仲町の姉が何やら心配の事が有るほどに、此方から行けば宜いのなれど、やかましやの良人が暇といふては毛筋ほども明けさせて呉れぬ五月蠅さ、夜分なりと歸りは此方から送らせうほどにお良人に願ふて鳥渡來て呉れられまいか、待つて居る、と云ふ文面で御座ります、又まゝ娘と紛紜でも起りましたのか、氣の狹い人なれば何事も口には得言はで、たんと胸を痛くするが彼の人の性分、困りもので御座ります、とて態との高笑ひをして聞かせれば、はて扨氣の毒なと太い眉を寄せて、お前にすればたつた一人の同胞、善惡ともに分けて聞かねばならぬ役を笑ひ事にしては置かれまい、何事の相談か行つて樣子を見たらば宜からう、女は氣の狹いもの、待つと成つては一時も十年のやうに思はれるであらうを、お前の懈りを私の故に取られて恨まれても徳の行かぬ事、夜は格別の用も無し、早く行つて聽いて遣るがよからう、と可愛き妻が姉の事なれば、優しき許しの願はずして出るに、飛立つほど嬉しいを此方は態と色にも見せす、では行きませうかと不勝々々に箪笥へ手を懸れば、不實な事を言はずと早く行つて遣れ先方は何れほど待つて居るか知れはせぬぞ、と知らぬ事なれば佛性の旦那どの急き立つるに、心の鬼やおのづと面ぼてりして、胸には動悸の波たかゝり。
 糸織の小袖を重ねて、縮緬の羽織にお高祖頭巾、脊の高き人なれば夜風を厭ふ角袖外套のうつり能く、では行つて來ますると店口に駒下駄直させながら、太吉、太吉と小僧の脊を人さし指の先に突いて、お舟こぐ眞似に精の出て店の品をばちよろまかされぬやうにしてお呉れ、私の歸りが遲いやうなら構はずと戸をば下して、行火へ焙るならいつでも床の中へ入れて置いては成らないぞえ、さんは臺所の火のもとを心づけて、旦那のお枕もとへは例の通りお湯わかしにお烟草盆、忘れぬやうにして御不自由させますな、成るたけ早くは歸らうけれど、と硝子戸に手をかくれば、旦那どの聲をかけて車を言ふてやらぬか、何うで歩いては行かれまいにと甘たるき言葉、何の商人の女房が店から車に乘出すは榮耀の沙汰で御座ります、其處らの角から能いほどに直切つて乘つて參りましよ、これでも勘定は知つて居ますに、と可愛らしい聲にて笑へば、世帶じみた事をと旦那どのが恐悦顏、見ぬやうにして妻は表へ立出でしが大空を見上げてほつと息を吐く時、曇れるやうの面もちいとゞ雲深う成りぬ。
 何處の姉樣からお手紙が來やうぞ、眞赤な嘘をと我家の見返られて、何事も御存じなしによいお顏をして暇を下さる勿躰なさ、あのやうな毒の無い、物疑ひといふては露ほどもお持…

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