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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題196 三つの死
196 みっつのし
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第三十九卷 女護の島異變」 同光社
1955(昭和30)年1月15日
初出「オール讀物」文藝春秋新社、1949(昭和24)年1~3月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2017-03-02 / 2017-03-09
長さの目安約 65 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

發端篇



「お早う、親分」
「何んだ八か、今日あたりはお前の大變が舞ひ込みさうな陽氣だと思つたよ。斯う妙に生暖けえのは唯事ぢやねえ」
 庭木戸の上から覗く八五郎の長い顎を見付けて、平次は坐つたまゝ聲を掛けました。
 松が取れたばかりの或日。
「地震と間違へちやいけません。――本郷一丁目の朝井玄龍、親分も御存じでせう」
「流行醫者だな。ちよいと好い男の坊主頭で黄八丈に黒縮緬がよく似合ふ――」
「その好い男の本道の家で、評判娘のお玉といふのが殺されたんで――」
「殺された?」
「背中を脇差で一と突き――自分の手ぢやあの藝當は出來ません」
「よし、行つて見よう」
 平次は直ぐ飛び出しました。本郷一丁目は眞砂町の喜三郎の繩張りですが、若くて力押しの喜三郎に任せて置くにしては、事件があまりにも重大らしい豫感があつたのです。
「親分は、あの醫者の手に掛つたことがありますか」
 途々八五郎は、平次に話しかけました。
「有難いことにろくな風邪も引かないよ。尤も萬一患らつたとしても、俺は流行醫者は嫌ひだよ」
「親父の玄龍は氣障だが、殺された娘は評判ものでしたよ。氣輕で愛嬌があつて、色つぽくて――」
「十六や七で色つぽい娘も好きになれないよ。尤も、殺されたとあつちや可哀想だが」
 そんな話をしてゐるうちに、二人は本郷一丁目の朝井玄龍の裏口から、内玄關に掛つてをりました。
 その頃の朝井玄龍は、全く日の出の勢ひの流行醫者で、一介の町醫者ながら、近く上樣の御脈も取ることになつたといふ噂も立つてをります。言ふまでもなく召されて將軍の脈を取るのは、町醫者の最上の榮譽で、御典醫は表向き民間の診療が出來なかつたのですから、朝井玄龍はまさに名聲富貴倶に兼ね備はつた杏林の福人とも言へるのでした。
 先代は朝井玄策と言つて、これも江戸中に聞えた名醫でした。少しく變人で名聲を好まず、本郷一丁目に堂々たる大玄關を張りながら、貧乏人相手に一生を過したといつても宜い人です。今の玄龍はその聟養子で、先代に優ると言はれた人氣でした。少なくとも男つ振りも辯口も、養父の玄策の粗野で狷介なのとは、比較にならぬほどの文化人だつたのです。
「おや、錢形の、飛んだ御苦勞だつたね。今度は親分の智慧を拜借するほどのこともなささうだぜ、下手人の當りは付いたつもりだ」
 眞砂町の喜三郎は、鬪志滿々たる顏で平次を迎へました。平次より少し年上の三十五六、負けん氣で練り固めた正直者と言つた感じの男です。
「さうか、それは宜い鹽梅だ。後學のため一と通り見せて貰はうか」
「宜いとも、斯う來るが宜い」
 眞砂町の喜三郎は我がもの顏に先に立ちます。
 玄關の宏大さに比べて、中はさして住よささうには見られませんが、さすがに流行醫者らしく、すべての調度は贅澤でギラギラして、金がかゝつて居る割には、品の惡さを救ふ由はありません。
 この騷ぎ…

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