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釜沢行
かまさわこう
作品ID55981
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 上」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年6月15日
初出「山岳 第15年第2号」1920(大正9)年11月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2013-06-20 / 2014-09-16
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 都門の春はもう余程深くなった。満目の新緑も濁ったように色が濃くなって、暗いまでに繁り合いながら、折からの雨に重く垂れている。其中に独り石榴の花が炎をあげて燃えている火のように赤い。それが動もすれば幽婉の天地と同化して情熱の高潮に達し易い此頃の人の心を表わしているようだ。此際頬杖でも突きながら昔の大宮人のように官能の甘い悲哀に耽るのも、人間に対する自然の同情を無にしたものではなかろうが、自分は一度試みてそれが忘られぬ思い出となっている五月の山の旅、あの盛んな青葉の中を縦横にもぐり歩きたい。渦まく若葉の青い炎に煽られて、抑え難きまでに逸る心は、一方では又深い淵のように無限の力をうちに湛えた緑の大波に揉まれ揉まれて、疲れ果てた体を波の弄ぶに任せながら、身辺に溢るる生命の囁きを感じつつも、力なくさりながら些の不平もなく、不思議に慰安と満足とを得るのである。自分は石榴の花をぼんやり見詰めながらそんなことを考えていた。そこへ折よくも訪れて来たのは田部君である。同君も矢張五月の秩父の旅で受けた深い印象を忘れ兼ねたのであろう。頻りに秩父行を慫める。相談は立どころに一決した。中村君も強制的に同行させる筈であったが急に南洋へ行くことになってしまった。秩父の青葉よりも南洋の青葉の方が一層盛であるに相違なかろう。どうせ行くなら南洋の方がいいなと思ったが仕方がない。秩父で我慢することにして、差し迫った用事を徹夜して片付け、五月三十一日に翌日の晴れを見越して、雨の中を午後十一時飯田町発の汽車に乗る。
 笛吹川の上流西沢を遡ることが此旅行の主眼であった。このことは今迄不可能であると言われていたが、可なりの困難を予期したならば、石塔尾根を登ってから沢へ下り込むようなことをせずとも、或は通れぬということもあるまいと想像して、次のような計画を立てた。西沢を遡って国師奥仙丈二山の間の鞍部三繋平に登り、荒川に沿うて御岳方面へ下ろうというのが第一案で、三繋平へ登ったならば、国師岳を踰えて金山沢を下り、更に釜沢に入り、甲武信岳から林道を栃本に出ようというのが第二案であった。然しどれも皆知らぬ沢である上に、どうも楽に通れそうにも思えぬ。是に於てか流石の田部君も、後者は四日の旅には余り大袈裟であるというので否決し、先ず荒川を下ることに極めて置いて、若し西沢の遡行がむずかしい場合には釜沢入りを決行しようということになった。
 塩山駅で下車すると案の如く空は雲切れがして程なく晴れそうな気配だ。いつも五月の秩父の旅では出懸に降られても、山に這入ってからは天気の好くなることを信じている田部君は、てんで雨の用意などはしていない。自分は大きな油紙に重い雨合羽まで支度して、役にも立たぬ苦労をした。
 此処から広瀬に至るまでの道は、正面に奇怪なる乾徳山の姿を眺め、次で途中一ノ釜の壮観も見られるし、滑沢ノ瀑も立派であれば…

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